2012/10/27

愚or賢

システムにプレーヤーを合わせる
プレーヤーに合うシステムを考える
前者は愚
後者は賢

高みを目指しつつ
地に足つけて
____________________________
平成9年に指導してたかつてのチーム
今年のチームと同様に主力がみんないなくなったシーズン
シーズンが始まるのが怖かった

春に成果が出ず
夏には高校生にも勝てず
悩み抜いたシーズンだった

やりたいことはあった
それを押し付けた
でも勝てない日々が延々と続いた

あるとき諦めた
そして目の前にいるプレーヤーにできることをやろうと決めた
できることはできるし,できないことはできない
試合は強みでしか闘えない
当たり前のようなことだが,そう思えるまでに時間がかかった

そうしたら勝ち始めた
最後のインカレ
そうそうたるキャリアをもった相手に対して,果敢に挑んだ
最後の最後にヒックリかえされたが,それでもチームは頑張った
悔しかったが,ある意味納得のいくシーズンになった

あれから15年の歳月が流れ
再び同じような状況の苦しいシーズン
最後にみんなが納得して追われるよう
残された日々の中でできることの質を追求していこうと思う

2012/10/21

関東

関東リーグ最終戦を観戦に4年生3人と小山まででかけた.
関西リーグを戦っているチームから見て,関東は異次元.
いろんな意味で.

プレーヤーのキャリア.
プレーヤーの層の厚さ.
プレーヤーのサイズ.
攻撃力.

しかし,足りないものがある.
それが関西にはある.

どちらの土俵で闘うか.
それが勝負の分かれ道.

2012/10/13

眼前に現れないもの

私は
問題には
目に見える問題と
目にみえない問題の
二種類があると思っている

目に見える問題は分かりやすい
起こったことだから
注意深く現実を見ていれば目にとまる
うまくいってないところだから

目にみえない問題は分かりにくい
起こらなかったことだから
あるべき姿を強くイメージしていなければ気づかない
うまくいってないことを産み出しているところだから

起こったことに対応することは大事
起こらなかったことに対応することはもっと大事

やってしまったミスは修正すればいい
やらなかったミスは修正すらできない

問題を起こすことは試行錯誤のスタート
問題を起こさないのは出発点にすら立っていない

2012/10/11

不増不減

般若心経のなかにある言葉.

Bチームの4年生で全十字靭帯断裂後の手術により,最後の大会にプレーヤーとして出場できなくなった学生がいる.
今日「学生コーチとして出場したい」という意思表示を聞いた.

100あったものが50や20に減ったり,全てを失って0になったりすることが人生には多々ある.

そんな時は,半分になってしまった50を嘆いたり,減った80を悲観したり,失った100に絶望したりすることがある.その時間が長ければ長いほど,後ろ向きなネガティブな生き方になる.
しかし,時が経ち,何かが減った代わりに増えた50に気がついたり,増えた80に可能性を見いだしたり,新しく生まれた100に希望を抱くことができたなら,そこから先は前を向いてポジティブに進んでいくことができる.
そして,そんな経験があったことすら忘れた頃にふと振り返ってみると,何かを失った経験は,逆に何かを得る経験になっていたことに気づく.

人生ってそんなことの繰り返しなんだろう.

コーチの仕事は怪我をさせないこと.
昨年はAチームの主力プレイヤーを最後のインカレの舞台に立たせあげることができなかった.
今年こそはと臨んだシーズンではあったが,Bチームで同じことが起こった.
まだ100%の仕事ができていない.

しかし,怪我によりコートを離れたプレイヤーを使い捨てにすることなく,怪我をすることによってしか学ぶことができないことに気づかせてあげる手伝いをすることもまたコーチの仕事なのかもしれないと思う.

「失ったものを数えるな,残っているものを最大限に生かせ」とかつての同僚が書き残したメモが今もモニタの隅に貼ってある.

目に見える問題に対応することと目に見えない問題に対応すること

問題解決型思考では 目標を明確に設定し 現状を正確に評価したら 問題は眼前に立ち現れてくる と表現する なので問題は「目標値と現在値との差」と定義することができる ということは 問題には ①「あるべき状態を達成しようと取り組んだが悪い結果になってしまった問題」 ②「あるべき状態を...