2014/10/31

紙に書くと消えてなくなるもの

San Antonio Spurs
2013-2-14シーズンのNBA Champion Team

いろいろ興味深くてプレイオフあたりから何度も映像を眺めてる
昨シーズンの映像を眺めたり
プレシーズンゲーム眺めたり
ネットでプレイブックを見つけたり…

10月28日には2014-2015シーズンが開幕し
101対100でオープニングゲームを勝利した
今年もまたNBAが楽しくなりそうだなぁって思ったりしている

そんな中で紙媒体のプレイブックを見てふと感じたこと
それは
「紙にプレイヤーの動きを軌跡として描いたらこうなっちゃうんだ」ってこと

何が言いたいかというと
「結局大切なことは紙には書けないんだ」ってこと

確かに「意図」はわかる
しかし
そのプレイが成功するためには
一人一人のカットやパスやレシーブやドリブルやフィニッシュの多様性や精度の高さ
ディフェンダーの状態を正確に判断したり決断したり……
といったことが不可欠

そんなことは当たり前の事なんだけれども
どっか
「魔法のセットはないかなぁ」なんてことを考えてる自分がいたりするのも事実

今年も映像を眺めながら
一人一人の動きの工夫に意識を向けたり
チーム全体の動きの工夫に意識を向けたり
いろんなところに意識を向けてNBAを楽しもうと思う

2014/10/27

みなさん「私」にできることが見つかりました!

少し長文ですが
バスケットボール指導に関わるすべてのコーチの方々に
是非最後まで読んでいただきたいと思います

2104年10月27日現在、FIBA(国際バスケットボール連盟)がJBA(日本バスケットボール協会)へ要求を出している問題

国際大会への出場資格停止の可能性なども報じられている
話はトップリーグの統一問題に集中している

今日も会議のために五反田にあるJBAオフィスへ出向くと
ビルの出口には大勢の記者が集まって関係者が出てくるのを待ち伏せていた
良いことで記者が集まるのならまだいいけれども
今回の問題もあまり望ましい状態ではない

これに対しては現場指導に関わる多くの方々は何もすることができない
私にもできることは何一つない
唯一できることは「悪者探し」か「非現実的な提案」くらいか

しかし、本当は統一問題以外にも指摘されている課題があるってことを知った
「強化に関するプログラムを確立する」こと

これまた自分とは随分と遠い問題のような気もする
強化なんてトップの一握りの指導者の問題…
自分にできることはやっぱり何もないって思ってしまう

ところがその中にはどうやら
「ミニバスケットボールでゾーンやゾーンプレスを指導しない」
というのが含まれているらしい

調べてみたら
FIBAはミニバスケットボールのルールでゾーンディフェンスを禁止している
ざっとネットに当たったら
オーストラリアでもカナダでもイギリスでもルール化されていた 

U-14までについては、FIBAはルール化まではしてないものの
というガイドラインの中で
ゾーンディフェンスはU-15の段階から指導しようと書いている
フルコートプレスについてはU-15から指導を始めるが
あくまでMan to Manでとある

理由は簡単
チーム作りよりもプレイヤー作りを優先して個人のスキルをアップさせることが先だと考えるから

日本でもかつてミニのゾーンディフェンスを禁止した時期がある
しかし現場からの要望でゾーンが復活した経緯がある
マンツーマンだけだと「能力のある子どものいるチームに勝てないから」という理由で

その結果
バスケットボールに出会った小学生や中学生の子ども達が
バックコートでゾーンプレスでボールをかっさらって
単純なレイアップで試合を勝っていく
ハーフコートでもゾーンで守って拾って走って勝っていく
早熟で敏捷性の高い(その時点で)子どもちが大活躍する風景

この風景はやっぱり何か問題があるんです
みんな心のどこかでそう思ってはいても
勝ちたいから仕方がないって諦めている
その方が手っ取り早いって思ってる
あそこがやるならうちもやらなきゃ勝てないって思ってる

リーグ統一問題は「誰かの問題」であって
「私には何一つできることがない」としても
ミニやU-14(中学2年)の課題については多くの方々が「私の問題」であり
「私にしかできないこと」なのである

FIBAに問われているのは
日本でバスケットボールを指導するすべてのコーチ(大人)なのだ

2020年とその後を明るく迎えるためには
「私が問われているんだ」という当事者意識を持って
「私にできること」を一人一人が地道にやっていくことしかない

統一問題に対して発せられる
「今までなにやってたんだ!」「できない理由を探すな!」
その言葉を
自分自身に問いかけるべきなのかもしれない


最後まで読まれた方へ感謝申し上げます
そして「自分で行動を開始」していただけたら幸いです
帰りの新幹線にて

成功しないと終わらない練習

例えばシュート練習

決められた回数をこなすだけの練習をしていても勝負強さは身につかないなぁ
連続インにするとか、制限時間内での成功本数を決めるとか……
「やれば終わる練習」や「時間がくれば終わる練習」ではなく
「成功しなければ終わらない練習」
あるいは
「成功しなければペナルティーがある練習」
にして圧力をかける

結果だけを問うのは問題があるし
ハードルが高すぎるのも問題がある
それでも技術練習ならば
経過を大切にしながらも結果にこだわるこの方向でいいんだと思う

ところが戦術練習
特に「攻撃」練習

当然回数を決めて練習するだけではほぼ意味がないし
ターンオーバーやシュートミスが起こっても
規定の時間や回数がくれば終わりという設定では
試合中に勝負の圧力がかかったときに当然ボロが出る

じゃあ
「攻撃側の成功」を終わりの条件にするとどうなるか?
当然
「練習を終わるために防御側が無意識に手加減する練習」
になるんだよなぁ

最初は厳しく守っている防御も
次第に厳しく守っているふりをしながらも攻撃の成功を期待するようになる
練習が早く終わって欲しいから

これは「防御」練習でも同じことだな

よしできた! 今日の練習は成果があった!
ってコーチが思っても
実は反対側がうまくいくように手加減してるってことが本当はいっぱいあるんだろうな

2014/10/13

心の平静さを探して

大学スポーツは1年かけてチームづくりが進む
その中で色んなことを準備する

相手もあることだし
メンバー構成も変わっていくなかで
上手くいくこともあれば
上手くいかないこともある

しかしどんな年であっても必ず最後の試合が訪れるということだけは確かなこと
早いか遅いかの違いがあるだけ
卒業がある学生スポーツに「このメンバーでもう一度挑戦したい」はあり得ない
必ず終わりが訪れる
突然あっけなく訪れることもあれば
本当に狙っていった先に訪れることもある

4年生にとっとは
1年間のチームづくりの結果としての最終試合というだけではなく
4年間の大学生活をかけて打ち込んだ競技スポーツの最終試合という意味合いが加わる
卒業と同時に競技スポーツから引退する学生にとっては
小学校からずっと続けてきた競技スポーツの最終試合という大きな意味も加わる

それは
本人にとっての終わりであるだけでなく
小さい頃からずっと応援に駆けつけ見守ってくれた親御さんにとっての終わりでもある

そんな最終試合をどんなかたちで迎えるか

勝ち負けは必ずつく
納得のいく勝ちもあれば
納得のいく負けもある

なり得る最高の自分になる為の努力を自分はやりきったと思えることからくる心の平静さ
John Woodenは成功の定義をこう語る
勝利と成功は「≠」である

どう終われたかは
自分以外の誰かが評価するものではない
自分自身の心が決めるもの

終わった後にどんな心の状態が訪れるかはわからない
それでも終わった時の心の状態はその後の人生に少なからず大きな影響を与える
学生 同士の関係性にも
コーチングスタッフとの関係性にも

自分の4年間が自分にとってかけた時間に見合うものであったかどうか
その問いに答えを出すのは自分自身

目に見える問題に対応することと目に見えない問題に対応すること

問題解決型思考では 目標を明確に設定し 現状を正確に評価したら 問題は眼前に立ち現れてくる と表現する なので問題は「目標値と現在値との差」と定義することができる ということは 問題には ①「あるべき状態を達成しようと取り組んだが悪い結果になってしまった問題」 ②「あるべき状態を...