2015/09/03

「機能体」と「共同体」についての問いなおし・学びなおし

堺屋太一氏の「組織の盛衰」という本を20代の前半に読んだ
すごい本があるもんだと思った
「組織論」なんて領域があるんだってことにも驚いた

組織には「機能体」と「共同体」があると学んだ
機能体は目的達成を追求する組織(典型例:軍隊)
共同体は構成員の満足を追求する組織(典型例:家族)
どんな組織でも両者の「いずれか」に属するもんだと思っていた

コーチングを初めてまもない頃のそんな学びから
大学という教育機関の中であっても
競技スポーツを戦うバスケットボール部は
勝利という目的達成を追求する組織なんだから機能体と捉えるのがいいと考えてきた

構成員には勝利という目的に対して「貢献」できる「機能」が最も重要であり
「役に立つ」人材を「役に立てる」場所に配置する適材適所が
コーチングの鍵だと思ってきた

プレイヤーの評価には「役に立つか?」「使えるか?」「できることは何か?」「強みは何か?」という「能力」や「実績」が重要であり
それが組織の「強さ」を実現するためには必要不可欠であると考えてきた

機能体である以上組織の目的を達成するためには
構成員に辛い思いを強いることも必然であり
組織が「仲良しクラブ」になることをずっと警戒してきた
「機能体の共同体化」は「組織の死に至る病」の一つであると


40代もあとわずかになったこの数年
NO LOVE NO TEAMというサイトの記事に触れる機会が多くなった
コーチングを見直したり強化したりするためのヒントがある

自分自身の「認知の仕方」にはある一定の特徴・歪みがあり
そのことがいつもチーム作りの障害になっていることへの気づきあった

「緊張」や「不安」が渦巻く心を整えるためのメンタルスキルのヒントもある
自分自身が読むだけでなくプレイヤーに紹介したりもする


そんな中でふとこのサイトではチームを「共同体」と表現していることに気がついた

NO LOVE, NO TEAMの目指す理想の「チーム」とは何か
に書かれている

  • あなたのチームはあなたを幸せにしているだろうか? あなたの仲間は幸せだろうか? 多くのチームがやり方を間違っている。NO LOVE, NO TEAMは間違ったやり方を除き、個人個人を大切にする方法で、すべてのチームをよいものにできると信じている。
  • 組織の中で傷つき疲れ果てる人間を一人でも許すかぎり、チームは素晴らしいとはいえない。

などの言葉はこれまでの自分自身の組織のイメージに ?? を突きつけた

  • 成果はチームに結束と成長をもたらす。成果を目指すから成長が促され、成果によって結束は確認され、成長が実感される。そして成長した優秀な人材と結束こそが、更なる成果を勝ち取るために必要なものだ。「成果」と「結束と成長」は鶏と卵の関係にある。
  • だがチームには成果をあげるための競争相手がいる。それは自然だったり、他のチームだったりする。だから、ときにチームは合理性を極限まで追求しようとする。そうしなければ目的が達せられないからだ。究極の場合、チームは結束と成長を度外視する。成果がなくてはチームは存続できないが、結束と成長は一時的に棚上げできないことはないからだ。これがチームから「 愛 」を奪うもとになる。やり方を違えてしまう原因になる。鶏さえいれば、卵には目を瞑るというわけだ。
  • チームが結束と成長を放棄すると、個人はチームの中で責任を負わされて分断される。その代わり、誰の目にも合理的にわかりやすく成果へと辿りつく道筋が理解される。何が悪いのか、何が成果を妨げるのかという問いに答えるのが簡単になる。「あいつが悪い」という言葉で、リーダーの仕事はずいぶんと楽になる。個人を大切にしないやり方でも、チームは成果に迫ることができる。たとえそれが、その場しのぎであろうとも。
  • この方式で長いあいだチームを保つことはできない。個人が犠牲にならなければ達成できないやり方を掲げた時点で、チームはその破綻を約束されている。狩りに出るたびに誰かを生贄を捧げる共同体が存続する道理はない。脳に酸素を取り込むという目的のために、手足が壊れていくのならその人は長く生きることはできない。チームの永続性のためには、誰かを犠牲にしてはならない。
  • チームは言うかもしれない。人には替えがきく、ダメになったら入れ替えればいいだけだ、と。このやり方でもチームは存続できる、と。しかし成果をいくらあげようとも、チームに結束も成長ももたらされていないのであれば、それは停滞と破滅への道だ。個人は必ず大切にされなければならない。
  • 勘違いしてはいけない。成果や結束や成長のためにチームがあるのではない。個人が「あなたが必要だ」という声を聞くために成果や結束や成長が必要だから、それをチームが大切にするのだ。TEAMの中には「 I 」がなくてはならない。チームは個人の集合体なのだと忘れてはいけない。一人ひとりを大切にする「愛」 がなければ、それはチームとはいえない、ただのグループであり、システムだ。そしてこのようなやり方は本質的に人間のものではない。これでは人々を繋げることはできない。
  • 私たちは個人を、「 I 」を大切にするやり方で成果に迫っていかなければならない。それでは目的を達成できないと人は言う。いや違う。これは人間のパフォーマンスをもっとも高めるやり方だ。だが少しだけ工夫が要るために、どうするべきかわからなくなり、人が分断されるやり方を好んでしまうチームが多いのだ。

とたたみかける

組織について改めて問いなおす機会・学びなおす機会なんだろうなって感じた

よく考えてみると
チームにとって「勝利」は「目標」ではあるけれども「目的」ではないなぁ……

ジョン・ウドゥンも「成功とは、成り得る最高の自分になるためにベストを尽くしたと実感できることからくる心の平静である」と定義しているし
JBAの指導者育成委員会でもコーチングフィロソフィーの最初の違いのスライドで「勝利(win)」≠「成功(success)」であることを伝えようとしている

MWU GREEN LINERSも「プレイヤーとしての成長」と「人としての成長」の二つの成長を目指すと掲げているよなぁ……

アドラーも「貢献」ではなく「貢献感」が人の幸福感にとって重要であると言っている……

まだまだうまく整理できないけれども
「勝利」という「成果」を追い求めながらも
 構成員一人ひとりに「成長の実感」が得られる組織
 構成員一人ひとりに「貢献の実感」が得られる組織
 構成員一人ひとりに「感謝の実感」がえら得る組織
 が求められてるんだろうな

どうしても「分析思考」が強い自分は
様々なことを分けて理解してしまうたちなのだが
組織を「機能体」と「共同体」に単純に分けて捉えることをやめて
機能体に「共同体的要素」をうまく組み込み
組織に「強さ」だけでなく「固さ」も創り出していけるコーチングができたらいいなって思う

これから長いリーグ戦が始まる
一戦一戦に勝利という成果を必死で追い求めながらも
構成員の成長とチームの結束を実現していけたらいい

それが50代へ向かう今の自分が目指すコーチングの姿

0 件のコメント:

コメントを投稿

目に見える問題に対応することと目に見えない問題に対応すること

問題解決型思考では 目標を明確に設定し 現状を正確に評価したら 問題は眼前に立ち現れてくる と表現する なので問題は「目標値と現在値との差」と定義することができる ということは 問題には ①「あるべき状態を達成しようと取り組んだが悪い結果になってしまった問題」 ②「あるべき状態を...