2017/10/10

意識を今その瞬間に留め置く力を養成するためにコーチはどうしたらいいのか?


これは、大学のコーチング論で使うスライドの一枚。

競技スポーツに打ち込めば打ち込むほど、
勝ちたくなればなるほど、
意識は「まだ来ぬ未来」や「通り過ぎた過去」や「他者」へ飛んでいってしまい、
意識を「今その瞬間」に留め置くことが難しくなる。
ということを簡単にモデルにしたもの。

自分にコントロールできないこの3つへ意識が吹っ飛ぶと不安は増大し自信は低下する。
結果的にパフォーマンスは悪くなる。
「練習で力は付いたのに試合で発揮できなかった」なんてことになる。

これはプレイヤーにとってだけでなくコーチにとっても同じこと。

だからチームを指揮するコーチには、
自分自身の意識を今その瞬間に留め置く力に加えて、
プレイヤーの意識の居場所を見極める力や、
プレイヤーの吹っ飛んだ意識を今その瞬間に戻すことを支援するスキルが必要になる。

「試合は練習のように、練習は試合のように」という言葉があるが、
試合ではどうしても練習の何倍も勝敗や成否が気になり、
意識が吹っ飛んでしまうことが多い。
「あがり」とか「不安」とか「緊張」の類は、
自分にコントロールできないことに意識が吹っ飛んでいくことによって生じる心身の状態。

「いつも通り!」は、言葉で言うほど簡単なことではなく、
どんなレベルのプレイヤーにとっても、何よりも難しいことの一つなんだと思う。

だからこそ、
試合で今その瞬間に意識を留め置くためには、
練習で今その瞬間に意識を留め置くことを訓練するしかない。
ということになる。

全く違った話だが、
「エアコンの効いた快適な室内環境で育った子どもは体温調整の機能が育たない」
と言われる。
それは「温度変化という刺激」を与えないから、それに対する「適応」が発生しなかったということ。結果的に暑ければ体温が上がり、寒ければ体温が下がる変温動物のようになってしまう。

言い換えると、
「環境変化という刺激」が結果的に「恒常性という適応」を生み出すということ。
逆説的だが「変化」が「恒常」を生み出す。
「ストレスを取り除く」のではなく「ストレスをかけることで耐性を高める」方向性。

同じように考えると、
「結果が気にならない・成否が気にならない快適な練習環境で育った子供は、意識を今その瞬間に留め置く機能が育たない」
って論理が成立するんじゃないだろうか。

言い換えると、
「常に意識が吹っ飛んでしまうような刺激」が結果的に「意識を今その瞬間に留め置くという適応」を生み出すということ。
「ストレスを取り除く」のではなく「ストレスをかけることで耐性を高める」方向性。

これを昔は「バイオレンス」という非合法な手段を用いてコーチはやっていた。
「殴られるという恐怖」は「未来に対する不安」や「過去の失敗」や「コーチの視線」に意識を吹き飛ばす刺激となるが、その刺激が続くことによって「未来のことなんて考えてもしたがない」「失敗した過去を振り返っても仕方がない」「コーチの視線を気にしてたって仕方がない」って一種の諦めが生まれ、結果的に「どんな状況でも意識を今その瞬間に留め置く力」が育つ。

そうやって「非合法な調教」に耐え生き残ることによって無理やり意識を今その瞬間に留め置く力を育てられたプレイヤーは、試合においても意識を今その瞬間に留め置くことができるようになり、結果的に「自分にできることだけに意識を向けられる『メンタルが強い』プレイヤー」となっていった。
そんな時代だった。
そんなことが当たり前の時代だった。

時代は変わった。
でも試合時の不安や緊張は変わらない。

新体操や体操の世界で行われるいわゆる「通し練習」のように、「失敗が許されない」「成功しないと終わらない」といった設定によって、試合と同じ緊張状態を練習の中に作り出していく方法もあるだろう。

しかし、為末氏が「成長は誰の責任か」という記事の中で述べているように、
「圧力をかけて成長させる方法」は今後どんどん難しくなるのだろう。
たとえそれが「叱咤激励」というものであっても。
圧力をかける側の想いよりも圧力を受ける側の主観で全てが評価される時代。

ではコーチはどうしたらいいのか?

練習では意識を今その瞬間から吹き飛ばす敵となり
試合では意識を今その瞬間に留め置く味方となる

でもこれじゃ「いつも通り」にならない?……

答えを探しながら
今日もコートでプレイヤーと関わる

2017/07/17

セカンドキャリアは一本道 デュアルキャリアは二本道

バスケットボールだけを一生懸命頑張って
プレイができなくなった後に何をするか?
を考えるのは「セカンドキャリア」的発想

アスリートとして続けてきたバスケットボールの一本道の先を
アスリート以外の役割で進んで行くという考え方

だから
高校受験も大学受験も
「バスケットボールの推薦で入れるところに……」
ってことになるし
就職も
「ずっと続けてきたバスケットボールに関わって働きたい」
「私にはバスケットボールしかないから」
ってことになる

でも
その先の一本道を進める人は意外に少ない

バスケットボールと専門教育の両立を頑張って
プレイができなくなった後は「◯◯」をする
を考えるのは「デュアルキャリア」的発想

アスリートとしてバスケットボールの一本道を続けることと並行して
将来を見据えたもう一本の道づくりを進めていこうという考え方

だから
「バスケットボールはここまで」
「ここからは◯◯したい」
ってことになる

結果的に「セカンドキャリア」が充実する

そうすると
大学スポーツの役割はもう一本の道づくり
大切なことはスポーツが終わるまでにどれだけもう一本の道を作っておけたかどうか

「デュアルキャリア支援」
今の成果に焦点を当てるだけではできない支援

2017/07/01

そこからが勝負

もうむり……
もうどうしたらいいかわからない……

心が叫ぶ

お願い……
だれか助けて……

でも
人生はそこからが勝負なんだろうと思う

スポーツは楽しい
しかし
競技スポーツは厳しい

上手いと下手を
勝者と敗者を
明と暗を
鮮明に描き出す

競技場では誰も代わりにプレイしてはくれない
競技場では誰も代わりに指揮をとってはくれない

最後の最後に力になるのは自分自身で切り開いてきた道

だから
研究室のドアにはこんな暖簾をかけている

自分に対して
学生に対して
常に問いかけていくために

………………………
道はじぶんでつくる
道は自分でひらく
人のつくったものは
じぶんの道には
ならない
………………みつを

2017/06/18

夢の話

今日のAチームは午前中にある社会人チームと練習ゲーム そこでJBAのカテゴリーの話になった 地域実業団リーグとクラブチームが同じ枠内でゲームをすることになるという話 そこで考えた 「だったら武庫川女子大学の上にクラブチームを作ればいいんだ!」ってこと 関西にはSANYOや積水といったトップリーグのチームもあったが今は廃部になりトップリーグチームがない 地域実業団リーグに参戦している社会人チームもあるが希望する卒業生に対して枠は少ないのが現実 強化のためにのゲームをしようと思えば関ヶ原を越えて愛知県へ行かなければならない 武庫川女子大学には全学的なスポーツ文化醸成を目的にスポーツセンターが設置された 新しい学科(コース)を設置しようという計画も動いている そういった流れが一つになるように夢を持てば きっと実現できる 夢に共感してくれる人が増え 夢の実現を助けてくれる人が増え 10年後には思い描く未来が来ているように 今から動こう! 関係の皆様 是非力を貸してくださいm(_ _)m

2017/06/15

何が非連続的な成長を生み出すのか?



MWU LAVYSは
「バスケットボールプレイヤーとしての成長」と「人としての成長」
という二つの成長を目的とし
「勝利」と「熟達」
という二つの目標を設定して日々活動している

最近強く思うのは
二つの成長はどちらも「連続的な成長」ではなく「非連続的な成長」なんじゃないかなぁってこと

外から見ていて「あっ変わった」って思える瞬間が確かにある
それまでのステージとは明らかに違ったステージに上がったと感じる瞬間だ

「変わった」
「違うステージに上がった」
「飛躍した」
 ってことは本当に多い

それは「だんだんと」変わるような変化じゃなく
「瞬間的に」変わるような変化

ところが
その「結果としての飛躍」が「なぜ」起こったのか?
についてはわからないことが多い
正直言って「これが結果としての飛躍を生み出した元だ」って
50歳にもなって未だ確信をもって言えることの方が少ない

技術的な飛躍というか
「できないこと」が「できるようになる」って非連続的な成長を生み出すこと
それは「その一つの技術のパフォーマンス構造」が理解できていればなんとかなる
目標は? 今の状態は? 問題は? 原因は? 課題は? 解決手段は? 計画は? 実践は? 評価は? って課題解決型思考サイクルを回していけばなんとかなることが多い
分析的な思考スキルが中心となって機能するコーチング行動と言えるかもしれない

この記事でいう非連続的な成長っていうのは
そういった個々の技術の成長のことではなく
「バスケットボールプレイヤーとしての成長」や
「人としての成長」や
その集合体としての「チームとしての成長」
といった「全体の成長」
「勝ったり負けたりしているステージ」から
「何度戦っても勝つステージ」への飛躍

目の前にいるのは
「モノ」ではなく「ヒト」
「操作」できるようなものでもなければ
「単純な因果」で説明できるような単純なものでもない

本当は競技力を構成する「心技体」全ての要因の因果関係を理解し
競技力のパフォーマンス構造の全体像を把握した上で
「意図的に」「飛躍を生み出すコーチング」ができるのが理想なんだと思う

でも
「何か違う」って思う
根拠はよくわからないが

「何か違う思考スキル」が必要なんじゃないかって思う
「分析的思考」とは違うとすれば「統合的思考」か?
ってほど単純なことではなく

「出発点とは何か?」って思考
「原点思考」と言えるのか?
よくわからない

「目標」の飛躍を生み出す元と言ったら
「目的」の飛躍か?
 何か違う
「意志」の飛躍か?
「意欲」の飛躍か?
 ‥‥‥

よくわらかないけれども「違うステージに上がる非連続的な成長を生み出したい」
って強く思うことだけは事実

じゃあ
そのためにコーチとして何ができるのか?
何が飛躍の連鎖を生み出し結果を変えていくのか?
その出発点を見つけたい
その出発点からコーチングできるコーチになりたい

そう思ってまた明日から現場に立とう
必ず飛躍の元があるはず

2017/06/10

ライフスキルとしての思考スキルをもった人材

学生バスケットボールはプロスポーツではない
学生は専門教育とスポーツ活動の両道を目指すもの

だからこを
専門教育の文とスポーツ活動の武を通じて
様々な社会の問題を解決していける人材が一人でも多く育ってほしいと思う

学生時代に出会う目の前の問題を解決していく経験を何度も何度も繰り返していくことによって
将来実社会で出会う問題を解決していくための力が育っていくんだとと思っている

そのためには
課題解決型思考(問題解決型思考)をスキルとして身に付けることが絶対に必要になる

25年前に
大学でお世話になった教授から教わったこと叩き込まれたこと
研究室の大学院生全員にDNAのように脈々と受け継がれていること
それは今この図となって自分の中の大切な根っこになっている

大学の4年間・大学院修士課程の2年間・博士課程の3年間
本当に多くのことを学んだが
その中でただひとつ大事なものをあげろと言われたらこの図になるんだと思う
そのくらい自分の人生にとって大切なもの

今を正確に評価でき
未来を明確に設定できる人の眼前に
問題は立ち現れてくる

今だけを見ていても
未来だけを描いていても
問題は見えてこない

問題(gap)にはそれを産み出している背景や原因があり(why)
そこからじゃあ何をすればいいかって課題が見えてくる(what)
だから問題と課題は別のもの
問題をひっくり返すだけでは課題にはならない

問題と原因の構造的な理解がキチンとできたら
「だったらこうしたらこうなるんじゃないか」って
仮説が見えてきて課題も明快に設定できる

そしたら
課題を達成するための手段を具体的に準備しなければならない(how)
手段は既にあるものの中から選択してもいいし
無いなら新しく創造すればいい

手段が準備できたら
それをいつ・どこで・誰が・どんな頻度で・どんな回数…って計画し実践してみればいい

実践したら必ず成果を評価して省察する

それって「PDCAサイクルだ」って言うとなんとなくわかったような気がするけれども
課題解決のサイクルを回すには単純な4段階では無理ってのが
コーチングを現場で続けてきた結果の自分の理解

そんな思考サイクルを
色んな問題に当てはめて考えて実践してみる習慣を
学生時代の文と武を通じて培っていきライフスキルとして身に付けていく

それが学生スポーツに本気で打ち込むことによって得られる価値の一つなんだと思う

その先に勝ちを見つけたい
それが自分のコーチングフィロソフィーの中の重要な一つの柱なのかもしれない

タフさの先にある勝負強さを求めて

勝負強さって二段階なんだろうな 
 第一段階は勝負のシュートを打つ力 
 第二段階は勝負のシュートを決める力 

経験は「過去」にある 
それでも戦いは「今」にある

「過去の違い」を超えていくには「今の練習」を変えていくしかない
タフさの先にある勝負強さを求めるには「今の練習」を変えていくしかない
そのためにも10か条のブラッシュアップが必要だな

2017/05/14

⑩ 勝ち切る(2回勝つ) win twice

守る→相手がシュートミス
これで防御側の勝ちか?

攻める→シュートを外す
これで攻撃側の負けか?

攻撃側がシュートミスしてくれても
そのオフェンスリバウンドを取られたら再び防御側に回らされる

攻撃側がシュートミスしても
そのオフェンスリバウンドを取れば再び攻撃側に回れる

だから
攻撃側のシュートミスではまだ防御側の勝ちは確定していない
攻撃側のシュートミスではまだ攻撃側の負けも確定していない

シュートを失敗させるだけでは確定しなかった防御側の勝ちも
そのリバウンドを取り切って初めて確定する

そんな当たり前のことを考えると
「勝ち切る」ってことの意味や大切さや隠れていた勝機が見えてくる

じゃあ
ディフェンスリバウンドを取り切ったら防御側の勝ちが確定か?

そうとも言えない

「ディフェンスリバンドを取った!」と思った瞬間のボールを
スティールやダブルチームで奪うことができれば
攻撃側はまだ勝ち側に回る機会を得ることができる

「リバウンドを取った!」って安心して
不用意にアウトレットされたボールや
不用意についたドリブルを奪うことでも
一瞬で攻撃と防御を入れ替えることができる

「シュートを決められた!」って慌てたりがっかりしたりして
不用意にインバウンドされたボールや
不用意にレシーブされたボールを奪うことができれば
一瞬で2回目の勝ちを得ることもできる

ドリブルで自分のディフェンダーを「破った!」って思ったドリブラーを
次のディフェンダーが奪ったり
ヘルプに動いたディフェンダーを見て「アシスト!」って思って投げたボールを
次のディフェンダーが奪ったり

「勝った」と思う「もう一つ先まで勝ち切る」こと
「負けた」と思う「もう一つ先で勝ち切る」こと

そういった「もう一つ先の戦い」まで
日々の練習の中でどこまで追求していけるか

そんな「しつこさ」「しぶとさ」「抜け目なさ」は
持って生まれた先天的な力ではなく
日々の練習の中で鍛えることができる後天的な力だと思う

近代バスケットボールの勝負は一回きりの戦いで決まるほど単純で淡白なものじゃない

バスケットボールは習慣のスポーツ
ゲームでは「いつも通り」のことしかできない

2017/05/12

⑨ ニュートラルボール neutral ball

バスケットボールには攻撃局面と防御局面の2局面がある

基本的にはどちらかのチームが
「ボールを保持している間が攻撃局面」になり
「ボールを保持していない間が防御局面」になる

したがって
「ボールは常にどちらかのチームに保持されている」って思ってしまう

でも
「ボールがどちらのチームにも保持されていない瞬間」はゲーム中に案外沢山出現している
「シュートが外れてボールが空間に浮いている瞬間」や
「ファンブル等によってボールが空間に浮いたり床を転がっている瞬間」だ

拡大解釈すれば
「パスでボールが空飛んでる間」や
「ドリブルでボールがドリブラーの手から離れてまた手に戻るまでの間」だって
実際には「攻防どちらのチームのボールでもない」ことになる

そうすると
「どちらのチームのボールでもない」「ボールがニュートラルな瞬間(隙間)」はゲームの中で数限りなく発生していることになる

だから
「ニュートラルボールは絶対に自分のものにする」って思っているチームとそうでないチームがゲームをすると
攻撃回数・リバウンド数・スティール数・ターンオーバー数……
などに圧倒的な差が現れる
それは単純に技術力や体力の違いってことではなく
「すきま」の勝負の差なんだろうと思う

「ふっとした瞬間」の勝負
「ちょっと気を抜いた瞬間」の勝負

そういったことを「球際の強さ」なって表現することもある

古来から「リバウンド・ルーズ」の大切さは枚挙にいとまがないほど語られてきた

じゃあ振り返ってみて
「ニュートラルボールを絶対に自分のものにする練習」や
「ボールをニュートラルにする練習」が
日々の練習の中にどのくらい組み込まれているだろうか?
どんな練習の中にも「球際の強さ」を求めているだろうか?
あらゆる「すきま」に勝負を見出しているだろうか?

ゲーム中に
どんなに口すっぱく「リバウンド!!」「ルーズボール!!」言っても無駄

バスケットボールは習慣のスポーツ
ゲームでは「いつも通り」のことしかできない

2017/05/08

⑧ 切り替え transition

攻撃→防御→攻撃→防御…
集合→離散→集合→離散…
通学→授業→練習→通学…

バスケットボールの練習や試合のありとあらゆるところには「切り替え」がある
「局面の切り替え」
「メニューの切り替え」
「行動の切り替え」
 ………
これらの切り替えは
戦術行動をより効果的にし
時間資源の活用をより効果的にする

それでも
バスケットボールに限らず競技スポーツ全般において
いや
競技スポーツに限らず人生全般において
最も難しい切り替えは
「失敗からの切り替え」だろうか

一度起こった失敗はどんなに考え尽くしても消えて無くなることはない
にもかかわらず意識が過去の失敗に留まってしまい
今その瞬間に集中することができなくなってしまうことがいかに多いことか

失敗そのものに意識が留まるだけじゃなく
未来の失敗に意識が飛んで不安になったり
失敗に対する他者の評価に意識が向いてしまったりすることも実に多い
これらは全て集中を阻害する要因

競技スポーツに本気で打ち込むことによって得られるライフスキルは数多くあるが
失敗からの切り替えはその中でも最も重要なスキルなんだとダブルゴールコーチングには書いてある

個人であっても
チームであっても
失敗からの切り替えを大切にし
今その瞬間を生きることを学び続けることができれば
失敗も成功のための一つの過程であったと言える未来にたどり着ける可能性が高くなる

でも
最も難しい切り替えは
「成功からの切り替え」なのかもしれない

失敗体験は「変化」や「挑戦」を生み出しやすいが
成功体験は「安定」や「現状維持」を生み出しやすいから

失敗と同じように成功も通り過ぎた過去の出来事
プレイヤーもコーチも「失敗体験からの切り替え」以上に「成功体験からの切り替え」の方が難しいことを自覚しておかなければ
成功の中に未来の失敗の芽が潜んでいることに気づけなくなる

一つのプレイの成功や失敗
一つの試合の成功や失敗
一つの大会の成功や失敗
一つのシーズンの成功や失敗
そういった一つ一つの経験からの切り替えを常に意識し
常に新しい挑戦を続けていく訓練を日々積み重ねていくことが
心技体の全てをタフにしていくのだろうと思う

バスケットボールは習慣のスポーツ
ゲームでは「いつも通り」のことしかできない

2017/04/30

⑦ 継続 continuation

日本の国技に近い野球には、ピッチャーの1球ごとに仕切り直しが入り、攻撃と防御の間にも守備位置からダッグアウトに帰って来たり、ダッグアウトから守備位置についたりといった仕切り直しが入る

バレーボールやテニスみたいなネット型のスポーツなら、サービスでラリーは始まるけれども、どちらかのミスで一旦仕切り直しが入る

アメリカンフットボールも1攻撃ごとにハドルを組んで仕切り直し、4回の攻撃が1セットになってまた攻守交代の仕切り直しが入る

このプレイとプレイの間の「ま」が日本人は好きだったりするのかもしれない

ところがバスケットボールではボールがコートの外に出るか、ルール違反に対してレフリーが笛を吹くかしない限り攻防がとにかく途切れずに継続される

サッカーやハンドボールなんかも攻防は連続するが、それでも得点が入ったら一旦センターサークルでの仕切り直しが入る

そう考えると得点が決まってもとにかくゲームが流れ続けるバスケットボールって、本当に「継続」にその特徴があるんだなぁって思う

じゃあ
練習はどうしてるか? って考えてみると

案外「攻撃だけ」とか「防御だけ」とか「1プレイだけ」とかの単位で練習することが多かったりする
「野球で育った世代」の自分も例に漏れずそういった傾向が強いと思うし
「考えれば考えるほど」その「攻撃か防御のどちらか一面」だけを「真面目に」練習させることがよくある

攻撃だと「シュートを決めて得点をとる」ことが目的だから、「シュートを打つ」までは結構LIVEで戦い合うけれども、よく見ると、本当のゲームだったら「そのシュートを打った後に継続される何か」が「ゲームと同じように」練習されないまま「なんとなくフェードアウト」するような練習になっているケースが、この傾向に該当するんだと思う

攻撃練習中に「ミス」が起こった瞬間に「笛を吹いて練習をフリーズさせる」ことも「実際のゲームだったらそのミスの後に起こる何か」を「発生させないように」練習させていることになる

防御でも理屈は同じ
「シュートを打たせない戦い」まではLIVEでやってるけれども、「シュートを打たれた後の戦い」や「シュートが落ちた後の戦い」あるいは「シュートが入った後の戦い」まで、「ゲームで実際に起こる継続」を意識して練習できていないことが多い

全ての練習を「ゲームのように」練習することは難しいけれども
実際のゲームで起こる継続をどうやって通常の一つ一つの練習の中に仕込んでいくか?
それはコーチもプレイヤーも常に気を使っていなければならないこと

攻撃の練習だったらその後の防御を数秒間だけもゲーム的に仕込んでいく
防御の練習だったらその後の攻撃を数秒間だけもゲーム的に仕込んでいく
それは1on1→5on5までどんな練習でも同じなんだと思う

「ミスの瞬間にフリーズさせる」ことと「ミスの後のリカバリーまでを練習させた後にミスを振り返る」こととのバランスを、コーチが試合の近さによって変えていかなきゃいけないんだろう

「しっかり練習できた」と思ってゲームに臨んだら
「練習したことと練習したこと」の「隙間」や「つなぎ」の部分で勝負が決まったりする苦い経験を、コーチなら誰しも経験したことがあるはず

「攻防のある一面を真面目に練習すればするほど」あるいは「ミスを細かく止めて練習すればするほど」「実はゲームとは違う習慣が身につくように訓練している」「コーチの自己満足」になっていたということに、「試合が終わってから気づく」といったプレイヤーに申し訳なく思い反省する経験を繰り返しながら、コーチもプレイヤーもチームも少しずつ成長していくのかもしれない

バスケットボールの特徴は「継続」にあるからこそ
「試合を変えたかったら練習を変える」しかない
「練習方法には必ずその方法の良さと悪さの両面がある」わけで
「育てたようにしかチームは育っていない」のがコーチングの現実

そんなことをわかった上で「継続にこだわるコーチの工夫」が
「隙間」や「つなぎ」で勝ち切っていくタフなチームの習慣を育てていくんだと思う

バスケットボールは習慣のスポーツ
ゲームでは「いつも通り」のことしかできない


2017/04/27

⑥ 連動 linkage

バスケットボールは5人が一つのチームとなって戦う集団スポーツ
だからゲームを「個の強さ」と「チームの強さ」の両面の視点で見なきゃいけない

「1+1+1+1+1=5のような戦いではなく1+1+1+1+1>5になるような戦い」
「ケミストリー」
なんて書くとなんとなくカッコ良くてわかったような気になるけれども

じゃあそんな「個が集まった集団」が「個の総和以上の戦いができるチーム」になれるような「チームの強さ」って具体的にはどんなことなんなんだろうか

攻撃面なら
「協力してシュートチャンスを創り出せているか」
「協力してプレッシャーリリースできている」
「個の強みを生かすように協力できているか」
「個の弱みを補うように協力できているか」
「個のミスをチームでカバーできているか」
「チームで狙いが共有されて動けているか」
「チームで空間的かつ時間的に合った動きになっているか」
「味方の動きを邪魔するような動きになっていないか」
「味方のシュートを予測してリバウンドやセーフティーに動けているか」
「カバーしてもらった個が次のカバーに動いているか」
 …

攻防は表裏一体なので防御面なら
「協力してシュートチャンスを潰せているか」
「協力してプレッシャーをかけることができている」
「個の強みを生かすように協力できているか」
「個の弱みを補うように協力できているか」
「個のミスをチームでカバーできているか」
「チームで狙いが共有されて動けているか」
「チームで空間的かつ時間的に合った動きになっているか」
「味方の動きを助けるような動きになっているか」
「味方のブロックショットを予測してリバウンドやヘルプに動けているか」
「カバーしてもらった個が次のカバーに動いているか」
 …
などだろうか

Key wordは「連動(Linkage)」
言い換えると「自分の動きと」「味方の動き」が「繋がってる」かどうか

そんな戦いができるチームになるために
コーチにできることは何か?
プレイヤーにできることは何か?
チームで言葉にして共有することから

その今 目の前の練習「繋がってるか?」

バスケットボールは習慣のスポーツ
ゲームでは「いつも通り」のことしかできない

2017/04/23

⑤ 状況判断&意思決定 situation judgment & decision make

バスケットボールは「見て・判断して・プレイする」が大事って言うけれども
これって本当なんだろうか?

バスケットボールなんだから「状況判断」が大事
それはわかる

でも
何かが足りない
というか
何か誤解してるんじゃないか?

ずっとモヤモヤしていた

高速でゲーム状況が変化する近代バスケットボールで、単に「見て(watching)」「判断して(situation judgement)」「プレイ(decision make)」しようとしても、ゲーム状況の変化や複雑さについていけず「先手」なんてとれない

ついていけたとしても
「反射的」に「判断」して「選択」したプレイが
そもそも自分が「意図したもの」や「練習してきたもの」や「強みを生かしたもの」になるかどうかはわからない

それができるのは相当な力の差がある場合だけなんじゃないか

逆に
「場面を正確に認知し、その場に応じた最適なプレイを選択していく」という思考方法をとろうとすればするほど、結果的に選ぶプレイは「場面にはふさわしい」けれども「自分の強みの発揮」とは必ずしも一致しなくなるというジレンマに陥ってしまう

「見て・判断して・プレイする」ってフレーズを無批判に「良い戦術的思考方法である」と受け入れ、その思考方法が習慣化すればするほど、「選択するプレイは状況に適しているかもしれないが、判断と選択という枝分かれを繰り返していく中で、どこか弱い・集中度の低い・練習量の少ないプレイ」になっていく

そうではなく
「まず最初に自分の最も強い・得意なプレイを仕掛ける」って決めた上で
「そのプレイができるのかできないのか」を「見て・判断して・プレイ」したり「そのプレイができる状況になるようになるように逆算で仕掛けていく」といった思考方法でプレイした方が、結果的には自分の「おはこ」に持ち込むことができるようになる

強みを徹底的に仕掛けて
それが100%できないほど完全に抑えられたとしたら
それは軽く裏のプレイを仕掛けることができるということでもあるはず
そうすればプレイはいたってシンプルになる

「何をするかわかってるけれども止められない」プレイヤー
「気がついたら得意なプレイでやられる」プレイヤー
っていうのは
「判断と選択という分岐を繰り返し」「枝分かれした先の正しい選択肢」を「探して」プレイしてるんじゃなく
「自分が最終的にやりたいプレイ」に「なるようになるよう」に「状況を逆算で創り出して」プレイしているんだと思う

「場面に最適なプレイを選択していく」という思考から
「得意なプレイができるように場面を創っていく」という思考へ

④ 読み(予測) anticipationにもあるが
徹底的に先手が取れるように強みであるプレイを仕掛けていくタフさは
思考習慣から見直す必要があるのかもしれない

バスケットボールは習慣のスポーツ
ゲームでは「いつも通り」のことしかできない


2017/04/13

④ 読み(予測) anticipation

バスケットボールでは攻撃でも防御でも「先手」をとろうと思ったら「読み(予測)」は不可欠

目の前に現象が現れる前に「そうなる未来」が見えてプレイしているプレイヤーと
目の前に現象が現れてから「今に反応して」プレイするプレイヤーが戦えば
勝敗は戦う前から明らか

知らない街を自転車で走ると
その角を曲がった先に何があるか……なんて
曲がってみなけりゃわからない

でも
知ってる街ならその角の先に何があるか……なんて
曲がる前から頭の中にある

だから
「危ない」場所も「安全な」場所も「楽しみな」場所も
「見る前からわかってる」

バスケットボールの読みって
そんな街を自転車で走り回ってるのとよく似てると思う

頭の中に街の地図を作るには
とにかく街を走り回っていろんな場所を見て周る根気の要る方法もあれば
最初に地図を買って街の全体像を俯瞰してから確認するように街を走り回る効率的な方法もある

知らない街を走り周るドキドキ・ワクワク感も
それが旅(たび)なら楽しみの一つになるけれど
それがバスケットボールなら話は別

旅を楽しむようにバスケットボールをプレイする
目の前に現れた現実に反射神経してるだけの「いきあたりばったり」のプレイヤーが
ハイスピード&ハードコンタクト化する近代バスケットボールにおいて
地図を持って未来を既に知っているプレイヤーに対して「先手」が取れるとは思わない

だから
日々の練習でプレイの地図を頭の中につくって土地勘を磨かかなきゃ
いつまでたっても試合が旅になってしまう

バスケットボールは習慣のスポーツ
ゲームでは「いつも通り」のことしかできない

2017/04/09

③ 超攻撃的 super aggressive

バスケットボールには攻撃局面と防御局面がある
だから「攻撃的」という言葉は攻撃時に心がけること
そう考えるのが一般的なんだろう

攻撃の目的は
勝ち試合の終了間際には「時間を使うこと」が目的になることはあっても
基本的には「ゴールすること」が第一の目的になる

したがって
全ての「カット」「パス」「レシーブ」「ドリブル」「スクリーン」……は
「ゴールすること」やそのための「シュートチャンスを創り出すこと」に直結していることが理想

ところが実際にはそう単純ではなく(と考えてしまっているだけだが)
ゴールやシュートチャンスの創出に直結しないプレイや
ゴールすることを意識していないプレイがそこら中で発生する

かつて
そういったオフェンスの消極的行動は
ディフェンスの「反撃行動」を生み出す
という稲垣先生の研究論文に出会った
防御側が攻撃側の消極的行動に付け込んで反撃行動にでる!

その時から
「攻撃的」という言葉は攻撃時だけに大切なものではなく
防御時にも必要なんだと思うようになった

では
防御時に攻撃的になるとは一体どういうことなのか?

それはやっぱり
「ボールを奪うこと」を狙うことなんだと思う

「守る」意識で防御していても攻撃側に先手を取られ
対応している間に結局はやられるだけ
そんな「守る」意識を捨てて「攻める」意識を前面に出す

ディナイも「持たせない」ではなく「奪う」
ボールディフェンスも「自由にプレイさせない」ではなく「奪う」
ブロックショットも「打たせない」ではなく「奪う」
ヘルプディフェンスも「カバーする」ではなく「奪う」
リバウンドも「取らせない」ではなく「奪う」

全ての攻撃行動を「ゴールすること」から
全ての防御行動を「ボールを奪うこと」から
見つめ直してみると
「攻撃的」な行動が次々に生み出されていく
そしてそれに「超」がつくくらい徹底的にやる
攻撃練習も防御練習もお互いが「超攻撃的」にやる
そんなバスケットボールの実現を目指したい

バスケットボールは習慣のスポーツ
ゲームでは「いつも通り」のことしかできない

2017/04/07

② ハードコンタクト hard contact

バスケットボールも種目の特性が変わったんじゃないかと思うくらい身体接触が増えてきている。

「タフなゲーム」と「ラフなゲーム」の違いすらよく分からないままフィジカルコンタクトの量と強度だけが上がっている現在のバスケットボール。その波は女子の世界にも押し寄せてきている。それが「いいこと」なのか「わるいこと」なのか現場の一コーチにはわからないが、この傾向がここ10数年とくに顕著になってきていることだけは確か。

そのため「タフ」なチームを作るにはフィジカルコンタクトを「日々」「訓練」することが必要不可欠になる。「カット時」「ポジショニング時」「レシーブ時」「ドリブル時」「フィニッシュ時」「ボックスアウト時」「リバウンド時」「踏切時」「着地時」……ありとあらゆるところでのコンタクトを想定し、それに備えておく訓練が必要になっている。

コンタクトの訓練を怠ると、それが試合中に「ターンオーバー」として現れる。それでもターンオーバーだけで済めばいいが、選手生命を脅かす「大怪我」につながる危険性がある以上、コーチは「タフなゲームを目指しながら、ラフなゲームも戦えるチーム」づくりをする必要がある。

でも、ただ単純に「ぶつかること」「高い強度」「攻防練習」を要求するだけでは怪我のリスクは減らず、逆に練習中や試合中の怪我のリスクは増える。

まずは「怪我のリスクを下げる股関節や体幹の動きを整えること」を「シングルタスク」として「意識すればできる段階」に訓練し、次に「デュアルタスク」として「別な課題を意識していても股関節や体幹の動きが乱れない段階」まで高めていく根気のいる時間のかかる作業を、毎日毎日繰り返していくこと以外に方法はないと思う。

バスケットボールは習慣のスポーツ
ゲームでは「いつも通り」のことしかできない

2017/04/04

① ゲームスピード game speed

練習で要求される「ゲームスピード」

それはただ単純に「トップスピードの速さ」を求めるということではなく
「試合で使う速さ」のこと

そこには
「相手を惑わすわずかなスピードの変化」
「技術を変化できる速さ」
「瞬間的な加速の鋭さ」
「急激なストップや減速」
…などといった多様な視点が含まれている

どんな練習方法であっても
問われるのは
「そのスピードは試合と同じか?」

バスケットボールは習慣のスポーツ
ゲームでは「いつも通り」のことしかできない

2017/04/02

ToughなチームのGood Habitを作り上げる10箇条

ToughなチームのGood Habitを作り上げる10箇条
① ゲームスピード game speed
② ハードコンタクト hard contact
③ 超攻撃的 super aggressive
④ 読み(予測) anticipation
⑤ 状況判断&意思決定 situation judgment & decision make
⑥ 連動 linkage
⑦ 継続 continuation
⑧ 切り替え transition
⑨ ニュートラルボール neutral ball
⑩ 勝ち切る(2回勝つ) win twice

Shadow:相手をつけない動きづくりの練習
Dummy:相手を置いての動きの練習
Decision Make:相手の対応を予め設定しておく判断を伴いながらの練習
Live:制限なしの実戦練習
SDDLのどの練習方法であっても守るべきもの
どれも優劣なく大切なもの


どれか一つでも抜ければ「ぬるい」「ゆるい」「あまい」チームになってしまうもの

目に見える問題に対応することと目に見えない問題に対応すること

問題解決型思考では 目標を明確に設定し 現状を正確に評価したら 問題は眼前に立ち現れてくる と表現する なので問題は「目標値と現在値との差」と定義することができる ということは 問題には ①「あるべき状態を達成しようと取り組んだが悪い結果になってしまった問題」 ②「あるべき状態を...