全関西は準決勝へ。
あらためて昨年度全関西終了時やインカレ終了時のメモを読み返してみる。
13年ぶりのヘッドコーチ1年目の記録たち。
「2012シーズンはこうしなきゃいかんなって」思った事、感じた事。
内容とともにノート上の筆圧や書体にも、その時の記憶がつまっている。
その中で、今、できているもの、できていないもの、忘れていたもの・・・いろいろ。
「同じ事を繰り返したら同じ結果にしかならない」ってかつて何かの本で読んだから、
様々な機会に過去のメモを見直す。
改めて「記憶」と「記録」はずいぶん違うもんだなぁと感じる。
知らず知らずのうちに「同じ事の繰り返し」の兆しが生まれていることに気づく。
思考の習慣や行動の習慣を変えていく事って、思っているよりもむずかしいのかもしれない。
2年目の挑戦の幕は上がったばかり。
記憶と記録の狭間の中で、小さな変化を積み重ねていこうと思う。
関西女子学生バスケットボール連盟1部リーグ所属MWU LAVYS Basketball Teamのヘッドコーチが
大学日本一という夢の実現に向けて日々登り続ける坂道の記録
バスケットボールのコーチングを心・技術・戦術・体力の側面から深く追求していきます
『Podcastで聴くコーチングのヒント 坂の上の夢の声』というタイトルのポッドキャスト で声の配信も行っています!
2012/04/30
2012/04/28
自信の芽
春の全関西選手権大会。
このところずっと準々決勝で敗れ5-8位決定へ回っていた。その繰り返しが4年続いていた。
今年は久しぶりに勝利で準決勝に駒を進めることができた。
苦しみながらもチームを引っ張る4年が頑張った。踏ん張った。
キャリアの全くない2年生が空飛ぶ核弾頭のごとくボールを引き寄せた。
ふがいなく一旦ベンチに引っ込んだスターターが再びコートに戻って走った。
自信の種が自信の芽となり硬い殻を破ってくれた。
この小さな芽たちが半年後に大輪の花となって咲きほこる未来をどうやれば現実のものにすることができるか。真剣に考えなきゃいかん。
次の戦いは4日後
このところずっと準々決勝で敗れ5-8位決定へ回っていた。その繰り返しが4年続いていた。
今年は久しぶりに勝利で準決勝に駒を進めることができた。
苦しみながらもチームを引っ張る4年が頑張った。踏ん張った。
キャリアの全くない2年生が空飛ぶ核弾頭のごとくボールを引き寄せた。
ふがいなく一旦ベンチに引っ込んだスターターが再びコートに戻って走った。
自信の種が自信の芽となり硬い殻を破ってくれた。
この小さな芽たちが半年後に大輪の花となって咲きほこる未来をどうやれば現実のものにすることができるか。真剣に考えなきゃいかん。
次の戦いは4日後
2012/04/27
自信の種
練習はゲームのリハーサル。
練習で起きている問題は、必ずゲームでも発生する。
たいがいは、敗戦の元となる。
だから、試合で起きそうな問題は練習で潰していかなければならない。
プレーヤーに、
今の状態(今どうなっているか)を伝えて、
変わって欲しい状態(どうなってほしいか)をリクエストするだけで、
勝手に変わってくれるプレーヤーも稀にいる。
でも、習慣のスポーツであるバスケットボールにおいて問題が瞬時に解決されるなんてことはほとんど期待できない。
コーチも、プレーヤーもいろいろ試行錯誤するんだが、なかなか目標とする状態にならないまま、時だけが過ぎていくことがある。
近づいているならまだしも、現状からいっこうに変化が見られない時を過ごしながら真摯に向き合うのは根気と忍耐のいる作業。
真剣に考える。どうしてそうなるのか?
真剣に聴く。どうしてそうなるのか?
価値観・成育史・過去の成功体験・失敗体験・行動の習慣・・・
思っていた答えは返ってこないことが多く、
思ってもいない答えが返ってくることが多い。
その関わりの中でねじれに気づき、隠れていた真の原因が見つかったりすることもある。
価値観が変わり、過去の成功体験や失敗体験から離れ、行動の習慣が変わり、目標とする状態に変わる日まで、
真剣に考える。
真剣に観察する。
真剣に待つ。
でも、コーチは深刻にはならない。
問題を解決するのはあくまでプレーヤー本人だから。
脳みそからも身体からも汗を出し、自ら苦労して獲得したことは必ず自信の種になるから。
練習で起きている問題は、必ずゲームでも発生する。
たいがいは、敗戦の元となる。
だから、試合で起きそうな問題は練習で潰していかなければならない。
プレーヤーに、
今の状態(今どうなっているか)を伝えて、
変わって欲しい状態(どうなってほしいか)をリクエストするだけで、
勝手に変わってくれるプレーヤーも稀にいる。
でも、習慣のスポーツであるバスケットボールにおいて問題が瞬時に解決されるなんてことはほとんど期待できない。
コーチも、プレーヤーもいろいろ試行錯誤するんだが、なかなか目標とする状態にならないまま、時だけが過ぎていくことがある。
近づいているならまだしも、現状からいっこうに変化が見られない時を過ごしながら真摯に向き合うのは根気と忍耐のいる作業。
真剣に考える。どうしてそうなるのか?
真剣に聴く。どうしてそうなるのか?
価値観・成育史・過去の成功体験・失敗体験・行動の習慣・・・
思っていた答えは返ってこないことが多く、
思ってもいない答えが返ってくることが多い。
その関わりの中でねじれに気づき、隠れていた真の原因が見つかったりすることもある。
価値観が変わり、過去の成功体験や失敗体験から離れ、行動の習慣が変わり、目標とする状態に変わる日まで、
真剣に考える。
真剣に観察する。
真剣に待つ。
でも、コーチは深刻にはならない。
問題を解決するのはあくまでプレーヤー本人だから。
脳みそからも身体からも汗を出し、自ら苦労して獲得したことは必ず自信の種になるから。
2012/04/26
いろんな関係の中で
大学という教育機関の中でバスケットボールを指導している.
「私」と「学生」との間には色んな関係が生まれる.
「クラスで指導・支援をする担任としての私」と「クラスの学生」
「卒業論文を指導するゼミ教員としての私」と「卒業論文を仕上げようとする学生」
「クラブのヘッドコーチとしての私」と「プレーヤーとしての学生」
「クラブの部長としての私」と「部員としての学生」
その他にも
「クラブ強化対策委員会委員長としての私」と「強化クラブの部員としての学生」
「情報教育委員としての私」と「学科生としての学生」
「スノースポーツ実習長としての私」と「実習参加する学生」
立場が変わると私の「機能」が変わるため、「私」と「学生」との関係性も必然的に変わる.一人の学生との間であっても、私の達成すべき目的・目標、果たすべき役割が変われば、その都度、指導する方法も、評価する尺度も変わる.発することばも、接する姿勢・態度も変わる、変える.
ただ単に「機能」を果たしているだけなのだが、自ずから「多重人格」的になる.
私もややこしいが、学生はもっとややこしいのだろうと思う.
しかし、「自立・自律した学生の育成」という点において首尾一貫している.
「私」と「学生」との間には色んな関係が生まれる.
入学前には、
「大学のコーチ」と「高校生プレーヤー」
入学後には、
「授業で教える先生としての私」と「受講する学生」「クラスで指導・支援をする担任としての私」と「クラスの学生」
「卒業論文を指導するゼミ教員としての私」と「卒業論文を仕上げようとする学生」
「クラブのヘッドコーチとしての私」と「プレーヤーとしての学生」
「クラブの部長としての私」と「部員としての学生」
その他にも
「クラブ強化対策委員会委員長としての私」と「強化クラブの部員としての学生」
「情報教育委員としての私」と「学科生としての学生」
「スノースポーツ実習長としての私」と「実習参加する学生」
立場が変わると私の「機能」が変わるため、「私」と「学生」との関係性も必然的に変わる.一人の学生との間であっても、私の達成すべき目的・目標、果たすべき役割が変われば、その都度、指導する方法も、評価する尺度も変わる.発することばも、接する姿勢・態度も変わる、変える.
私もややこしいが、学生はもっとややこしいのだろうと思う.
しかし、「自立・自律した学生の育成」という点において首尾一貫している.
2012/04/21
積極的な反応と消極的な反応
同僚先輩の習慣を真似て始めた入浴読書がずっと続いている。
今は、司馬遼太郎著「関ヶ原」を読んでいる。
その下巻 p.207
敵の疲労を想像して夜襲を思い立つという積極的な反射ではなく、敵の放火をみて自城の防御を思い立つという消極的な反射では、戦では主将の反射がするどければ鋭いほど受け身になり、ついには窮地に追い込まれてしまう。
戦は,頭脳と勇気と機敏さの仕事だが、その三つが揃っていてもなにもならない。
(中略)
三成の場合、その三つは信長、秀吉とさほど劣らぬであろう。しかし致命的に違うのは、三つを載せている資質だった。受け身の反応なのである。
10代で初めて読んだ大作「竜馬がゆく」
30代で読んだ「坂の上の雲」
40代で読んだ「覇王の家」
そして今読み進めている「関ヶ原」
いずれにも司馬遼太郎が想う様々な「将」としての在り方が綴られている。
読む自分自身の年齢や立場や責任の変化に重ね合わせながら、いつも書の中に「将とはいかにあるべきか」を探している気がする。
昨日、10年来お世話になっている高校の先生と久しぶりに電話で話をする機会があった。「Blogどうして止めたの」って話になった。『坂の上の夢』に時折目を通していてくださっている先生。SMSでコメントを頂いたこともある。
チームを育てること、学生を育てること、バスケットボール界の発展を目指して仕事をすること、そんな日常の中で感じたり考えたりしたことを「ことば」にして発信してきた。ことばを頭の中から体の外に出して綴っていくことで、自分自身の頭が整理されることも多かった。
有為な女性スポーツ指導者を育成することが目的の実技授業の中では、「頭でわかっていること」と「実際にできること」は全然違うよ。「自分ができること」と「人をできるようにさせること」もまた全然違うよ。「頭でわかっただけで、できた気になったり、伝えられる気にならないで、できない人を本当にできるようにさせることができる指導者になってください」って話を日々学生にしている。
しかし、チームの育成や学生の教育、バスケットボール界としての仕事や教員としての仕事の中で、いろんな意味で自分の描く目標や理想に届かない現実、遠く及ばない自分自身の現実の力量、学生気質の変化、自分自身の言行不一致さや、有言不実行さなど、様々なことに嫌気がさし、ことばを発することをやめていた。
「でもね、苦労や迷いであっても、それを『ことば』にして発信してくれていたら、同じような環境の中で頑張ってる人のヒントになったり、共感できたり、勇気づけになったりすることもあるんじゃない」っていう先生の言葉に、消極的な反応が自分自身に生じていたんだなあって改めて感じた。
明日から新年度の公式戦がスタートする。
「戦いの場において将の積極的な反応」が生まれるよう、姿勢をただし、表情をただし、声をただし、目の前の現実と積極的に向き合っていこうと思う。
今は、司馬遼太郎著「関ヶ原」を読んでいる。
その下巻 p.207
敵の疲労を想像して夜襲を思い立つという積極的な反射ではなく、敵の放火をみて自城の防御を思い立つという消極的な反射では、戦では主将の反射がするどければ鋭いほど受け身になり、ついには窮地に追い込まれてしまう。
戦は,頭脳と勇気と機敏さの仕事だが、その三つが揃っていてもなにもならない。
(中略)
三成の場合、その三つは信長、秀吉とさほど劣らぬであろう。しかし致命的に違うのは、三つを載せている資質だった。受け身の反応なのである。
10代で初めて読んだ大作「竜馬がゆく」
30代で読んだ「坂の上の雲」
40代で読んだ「覇王の家」
そして今読み進めている「関ヶ原」
いずれにも司馬遼太郎が想う様々な「将」としての在り方が綴られている。
読む自分自身の年齢や立場や責任の変化に重ね合わせながら、いつも書の中に「将とはいかにあるべきか」を探している気がする。
昨日、10年来お世話になっている高校の先生と久しぶりに電話で話をする機会があった。「Blogどうして止めたの」って話になった。『坂の上の夢』に時折目を通していてくださっている先生。SMSでコメントを頂いたこともある。
チームを育てること、学生を育てること、バスケットボール界の発展を目指して仕事をすること、そんな日常の中で感じたり考えたりしたことを「ことば」にして発信してきた。ことばを頭の中から体の外に出して綴っていくことで、自分自身の頭が整理されることも多かった。
有為な女性スポーツ指導者を育成することが目的の実技授業の中では、「頭でわかっていること」と「実際にできること」は全然違うよ。「自分ができること」と「人をできるようにさせること」もまた全然違うよ。「頭でわかっただけで、できた気になったり、伝えられる気にならないで、できない人を本当にできるようにさせることができる指導者になってください」って話を日々学生にしている。
しかし、チームの育成や学生の教育、バスケットボール界としての仕事や教員としての仕事の中で、いろんな意味で自分の描く目標や理想に届かない現実、遠く及ばない自分自身の現実の力量、学生気質の変化、自分自身の言行不一致さや、有言不実行さなど、様々なことに嫌気がさし、ことばを発することをやめていた。
「でもね、苦労や迷いであっても、それを『ことば』にして発信してくれていたら、同じような環境の中で頑張ってる人のヒントになったり、共感できたり、勇気づけになったりすることもあるんじゃない」っていう先生の言葉に、消極的な反応が自分自身に生じていたんだなあって改めて感じた。
明日から新年度の公式戦がスタートする。
「戦いの場において将の積極的な反応」が生まれるよう、姿勢をただし、表情をただし、声をただし、目の前の現実と積極的に向き合っていこうと思う。
2012/04/08
2012/04/07
1年生
高校でウインターカップに出場し頑張ってた高校3年生。
それが大学1年生として入学してきた。
親元を離れ、自立した生活の中で競技も勉強も頑張って欲しいと願う。
これから4年間でいろんな経験を重ね、人として、競技者として見違えるような成長を遂げて欲しいと願う。
入学式から1年が過ぎた2年生、2年が過ぎた3年生、3年が過ぎた4年生。
どこまで来た? そしてどこまで行く?
全ては自分次第。
それが大学1年生として入学してきた。
親元を離れ、自立した生活の中で競技も勉強も頑張って欲しいと願う。
これから4年間でいろんな経験を重ね、人として、競技者として見違えるような成長を遂げて欲しいと願う。
入学式から1年が過ぎた2年生、2年が過ぎた3年生、3年が過ぎた4年生。
どこまで来た? そしてどこまで行く?
全ては自分次第。
2012/04/04
暦
大学の暦は早くスタートする。
今日は大学の入学式。明日は短大の入学式。
これまで比較的ゆったりと時間を使ってきた練習を、通常練習用に圧縮していかなければならない。
問われるのは学生の自立・主体性・問題意識かな。
今日は大学の入学式。明日は短大の入学式。
これまで比較的ゆったりと時間を使ってきた練習を、通常練習用に圧縮していかなければならない。
問われるのは学生の自立・主体性・問題意識かな。
2012/04/03
2012/04/02
あれもこれも
試合では全部が要求される。
だから経験の浅いプレーヤーにも練習で全部を要求してしまう。
あれもこれも状態。
当然うまくイキっこない。
階段を一段抜かしで駆け上がれるほどのキャリアがないんだから仕方ないか。
明日は「あれ」か「これ」かに絞ろう。
そうしないと堪忍袋の緒が切れる。
だから経験の浅いプレーヤーにも練習で全部を要求してしまう。
あれもこれも状態。
当然うまくイキっこない。
階段を一段抜かしで駆け上がれるほどのキャリアがないんだから仕方ないか。
明日は「あれ」か「これ」かに絞ろう。
そうしないと堪忍袋の緒が切れる。
2012/04/01
よくない練習
今日からディフェンス強化月間スタート。
ディフェンスのフットワークから全て根本的に見直し。
自分の中のイメージと現実とのあまりのギャップに練習が止まる。
でも言葉が出ない。
先にも進めない。
学生にイメージがないのはしかたないにしても、
それを上手く伝える術が見当たらない。
良くない練習の状態から延々と抜け出せずに時間だけが過ぎていく。
一歩進もうとしたら二歩下がらないとダメ。
落合前中日監督は物事には「絶対的な基本がある」と書く。
GREEN LINERSの学生がその絶対的な基本を身につけ、目標像、目標水準を「シェア」できるようになり、戦えるレベルに達するまで、とにかく我慢・忍耐・根気だぁ。
ディフェンスのフットワークから全て根本的に見直し。
今までと同じことをやっても同じ結果になるだけ。
だから変える。
自分の中のイメージと現実とのあまりのギャップに練習が止まる。
でも言葉が出ない。
先にも進めない。
学生にイメージがないのはしかたないにしても、
それを上手く伝える術が見当たらない。
良くない練習の状態から延々と抜け出せずに時間だけが過ぎていく。
一歩進もうとしたら二歩下がらないとダメ。
落合前中日監督は物事には「絶対的な基本がある」と書く。
GREEN LINERSの学生がその絶対的な基本を身につけ、目標像、目標水準を「シェア」できるようになり、戦えるレベルに達するまで、とにかく我慢・忍耐・根気だぁ。
明日は絶対に良い練習になるように頑張ろう。
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