仕事が「仕事以上のもの」であるか?
作業が「作業以上のもの」であるか?
勉強が「勉強以上のもの」であるか?
練習が「練習以上のもの」であるか?
卒論が「卒論以上のもの」であるか?
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●●が「●●以上のもの」であるか?
:
最近この問いについて考えることが多い
仕事が「給料を得るためのもの」
作業が「業務を遂行するためのもの」
勉強が「試験に合格するためのもの」
練習が「試合に勝つためのもの」
卒論が「必修単位を満たすためのもの」
:
「だけ」であるとするならば
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「コスパ(コストパフォーマンス;費用対効果)」
「タイパ(タイムパフォーマンス;時間対効果)」
が最大の問題になる
:
「だけ」でないとしても
「コスパ」「タイパ」は大切な問題である
:
「しかし…」である
:
「出すべき成果は何か?」という「目的」の設定があり
「そのための手段は何か?」の設定があり‥
仕事も、作業も、勉強も、練習も…
全てが「手段」化していく
:
「目的→手段」
それは絶対に大切な思考方法であり
人生を「効率的」「合理的」「目的的」に生きていくためには必ず必要になるもの
:
「しかし…」である
「成長」という視点からみると
全てのことは「機会」であり
「機会」は「チャンス」である
仕事も、作業も、勉強も、練習も、卒論も…
全ては成長の機会である
ある特定の「目的→手段」関係
ある特定の物差しで測る「効率性や合理性」
「だけ」の視点から見ていたら
本当に大切なものを見失う気がする
何よりも「チャンス」を逃してしまっている…
ただ単に逃してしまっているだけでなく
チャンスを逃してしまっていることに気づいていない…
ことこそが大きな損失である
:
「主体的に」ってスローガンだけが一人歩きし
学習指導要領にも「対話的・主体的・深い学び」なんて書き込まれる時代
:
「答えがない時代」「正解がない時代」だからこそ自分の頭で考える必要がある
「今まで通りが通用しない変化の時代」だからこそ自分で考える力が大切である
なんて正論が闊歩するものの
現実に起こっていることは
「私のすでに知ってい世界」
「私がすでに持っている視点」
からの意見や主張
「人は知っているものしか見ることができない」
認知特性を持っている以上
「今知っていること以上のものがある」
「今見えている以上のものがある」
という無知の知の自覚をもち
「今知っていること」の世界や視点から見た
「意味のないこと」の中に
「これまで知らなかったこと」「意味のあること」
を見つけ出そうとする姿勢や志向も
「主体的」の中に入るんじゃないか…
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