2012/07/01

半分の子ども

プレーヤー以前に自分がダメ。 ゲームをしながら感情が制御できなくなっている。 コート上で起こっていることは全てが練習の結果。 チームは我慢の時、今日のゲームに勝つことはチームの最終目的ではないかもしれないが、どんなゲームであっても勝てるだけの準備が整っていない。 今捨てるものと、今求めるものとの割り切りが自分でできなくなる。 だからゲームで心が乱れる。 しかし「半分のパンは、パンがまったくないよりはよい。しかしソロモン王が知っていたように、半分の子供は何の意味もなさない」とドラッカーが指摘している。 準備が半分の子どもの様に無意味なものにならないように、腹式呼吸で息を吐き切り、一つ一つが意味のある水準に達するままで我慢しなきゃいかん。

0 件のコメント:

コメントを投稿

バスケットボールを安全にプレイできる環境を求めて

  バスケットボールに関わる全ての皆様にどうしても考えていただきたいことがありこの投稿をしています 女子の大学カテゴリーですが1990年代からずっと現場で指導する教員コーチとしてどうしても考えていただきたいことです それは「強度(intensity)」についてです 歴史的にバスケ...