2025/03/13

「問題」の捉え方が2つあるから確認しなきゃいかんな

 





人生訓②

仕事をしていると様々な「問題」が発生する
コーチングにおける問題とは「目標と現状の差」という定義なので
問題とは「目標を明確に設定」し「現状を正確に評価」した時に「眼前に立ち現れるもの」と表現される
したがって
問題とは目に見えるものではなく逆に目には見えない認識するものだし
目標だけを見ていても
現状だけを見ていても
問題は認識できないということになる
しかし一般社会において仕事上発生する問題とは「うまくいってない障害物」的な捉え方が多いのだろう
そしてその障害物は目に見える
だから「問題」を「解決」しようとすると無意識的に「障害物を取り除く」という思考になることが多い
そういう時はいつも個人的に「??」「どうしてそうなるんだ?」と自問することになる…
それは
その「障害物を取り除く」ことによって
目標(出すべき成果、あるべき姿)に近づくのか?
その「障害物を取り除く」目的は?
という問いを立てた時に「否」とか「??」となることが多いから
確かにその解決策で目の前に現れている障害物としての問題は解決(除去?)できるかもしれないけど
それによって出現する未来は本当に実現したい未来なのか?
って常に問い続けないと
「今目の前にある障害物を取り除く」という成果は出せても
気がついたら「障害物は無くなったけど目指す目標には全く近づいてない」とか「目指す目標とは反対方向へ進んでいる」的なことになる危険性をかなりの確率で孕んでいる
解決策はあくまでも「手段」であり
「問題がなくなること」よりも「何を達成したいのかという目標やその先の目的」の方をいつも優先したい
目標と現状の差を埋めることによって
その先の目的に向かって進んでいけるような志向でいたいと思う
コーチングにおける問題解決を学んだことに加えて
20代の時に「ブレイクスルー思考」という書籍に出会い
その中に「目的展開」という考え方が紹介されていたことも
自分の思考の型を形成するのに役立った
何か目の前の問題を解決しようとした時に
すぐにその問題解決に取り組むのではなく
その目的は?
その目的は?
と問い続け
より大きな目的を確認(目的展開)していけば
今目の前にある問題を直接扱うよりも
より良い解決方法が現れる可能性があるというもの
場合によっては別な解決方法を選択することによって目の前の問題(障害物)が消えてなくなるということもあるという考え方は20代の自分にとって極めて大きな影響を与えた
これからも日々様々な問題に出会うだろう
そんな時は
「目標と現状の差」として認識できる目に見えない問題なのか?
それとも「障害物」として立ちはだかる目の前に見える問題なのか?
その問題を解決する目的は? さらに上位の目的は?
などの問いを立てていくくとは続けていきたいと思う
それが生きづらさや混乱を生むとしても
ピラミッドの図は以下より転載

2025/03/10

2つのspeed kills idea

というYoutube動画がある
その中でcoach Lisaroが「speed kills idea」という言葉を使っている

改めてこのspeed kills ideについて考える機会となった
速さは技術だ!
という記事を以前書いたがこれは「攻撃時にスピードを出すことは結果的にプレイの難しさを生む」というスピードの負の側面とその克服の話

このYoutuberでcoach Lisaroが語っているspeed kills ideaは
防御側の連携のスピードは攻撃側の思考に勝るというスピードの正の側面とその可能性についての話

相手の攻撃力が高くなるとどうしてもチャンスを作り出されてしまうので瞬間的に1on2(1人の攻撃対して2人の防御が必要な場面)が生まれ、残りの4on3の部分を守りきれなくなる
その瞬間に3on4を攻め切られたら
あとはシュートが落ちることを期待するしかない

そこを防御側の「思考速度」「移動速度」を上げて瞬間的にチャンスが生まれたとしてもそれを瞬殺する防御力を目指そう!
という考え方はシュートが落ちることを期待するよりも魅力がある

そのためには防御側の
「移動速度そのものを上げること」
「ルールを簡単にすること」
「判断基準を明確にすること」
「コミュニケーションを徹底して他者に伝えること」
などの前提条件をコーチが徹底的に考え抜いて鍛えていくことが必要になるんだろう

集団種目であるバスケットボールだからこそ
「個の力を高めること」と「協力の質を高めていくこと」の両立は
攻防いずれにおいても永遠の課題だな

2025/03/07

自分の外側に正解を求め続ける旅に終わりは来ない



「外側の正解を求め続ける世界」
という記事がある

コーチングをしていく上でもとても大事な考え方だと思う
コーチングする自分自身にとっても
プレイヤーにとっても

inputしてもinputしても
「もっと他にinputすべきことがあるんじゃないか」
「自分が知っていることの他にもっとよい正解があるんじゃないか」
っていう強迫観念にかられることがある

「無知の知」というソクラテスの言葉があるが
自分には知らないことがあるという自覚は人生を生きていく上でとても大事なこと

「自分はもう多くのことを知っている」
「自分はもういろんなことができるようになっている」
と思った瞬間にそこで成長が止まってしまうって現象は
経験を積めば積むほど
知識量が増えれば増えるほど
起こる可能性が高くなる

しかし
時にこの自分の外側に正解を求める志向は自己肯定感を下げてしまうことがある
競技スポーツに臨むアスリートにとって
この志向は勝負の瞬間に「自分の中にあるもの」ではなく
「自分の外にあるもの」に頼ってしまう危うさを孕んでいる

競技の場に立ったアスリートは
勝負の瞬間に他者の手助けを受けることができない
だからどんな結果になろうとも
自分自身の中にあるもので勝負と向き合うしかない
それが競技スポーツの厳しさ

今その瞬間において自分自身の中にあるものを信じ切ることができなければ
無意識のうちに
「逃げる」
「他者のアイデアで動く」ことで責任を回避する
のいずれかの方策で「可能性の中に生き続ける」選択をし
自尊心を保とうとする

inputをすることで知的理解を高め
反復することで遂行力を高め
勝負の瞬間は覚悟を決めてoutputする
どんな結果が出ようとも結果は自分が引き受ける
そして次の成長に向けてまたinputしていく

コーチングする自分自身も
プレイヤーも
そんなそんな志向がもてるように自分自身と向き合っていきたいと思う

そして
人生を生きていく上でも

2025/03/05

階段登ったら後ろが崩れてた……コーチングのあるある

右肩上がりって言葉がある
「成長」のメタファーでもある

コーチングも右肩上がりに成長していってほしいと思う
しかし基本的に階段方式でプログラムを組んでも
やっと登ったと思った瞬間に
登った先から崩れてるのが現実

ルパン三世や未来少年コナンに崩れる橋を渡ってるシーンがあったが
まさにあれっ^^;
ほぼコーチの自己満足の世界

知的な理解と体が了解することの違いか…
蓄積は思ってる以上に難しい

そうなるとやはり右肩上がりよりも螺旋で考えた方がいいんだろう
それでも同じ水準でぐるぐる回ってても成長はないので
元に戻った時には質的に改善しているスパイラルアップのイメージが一番いい

垂直方向の質的成長と右方向の量的成長の両面からスパイラルアップをイメージすると
図のようになる

最終的な目標像を「方向性」と「水準」の2面から設定し
現状との差を問題点として正確に評価し
パフォーマンス構造を元に原因と課題を設定し
「プログラム」に落とし込んでいく

どの部分が欠けても良いコーチングににはならないが
進むべき方向が頓珍漢でも成長は引き出せないし
目指す水準が高すぎても低すぎてもうまくいかない

目の前の現象を正確に観察して
目標との差を正確に評価する現状評価は極めて難しい
起こっている問題点と
起こっていない問題点の
2つの視点を以前の記事で書いたが
コーチングの現場ではコーチ自身が分析装置だから
コーチの目こそが命
コーチの目がポンコツだと印象分析もポンコツになる

「どこが悪いか」という問題点が分かっても
「なんでそうなってるのか」
という原因や背景は指導する競技のパフォーマンス構造が高度に理解できていないと
原因と結果を正確に関連づけることができない
どうしても原因や背景がわからない時に
コーチは「心」の問題にしてしまうこともある^^;

プログラムづくりにも独特の難しさがある
「借りてきたプログラム」も実際にやってみると
様々な問題が発生するもの
プログラムの目的や実施方法、指導内容に対する理解不足によって起こる問題
指導対象の現状と合っていないことによって起こる問題
結局は試行錯誤して指導対象にフィットさせていくしかない

スパイラルアップを何度も何度も忍耐強く回していくしかないのがコーチング

だからコーチングの思考サイクルに正解はあっても
実際の指導現場には正解がないのがコーチング

正課外教育のクラブ活動で育つのは生徒?学生?それとも教員?

教員コーチのつぶやき

散文の長文です^^;
中学校、高等学校、大学
かつてどのカテゴリーにも「教員コーチ」は多く
特別な報酬もないまま
ただ「好き」という理由だけで
祝日とか勤務時間外とかでも指導現場にいた
それは「自己犠牲」でもなんでもなく
ただの「好き」の延長線上
報酬なんてないわけだから
当然黒字なんてことはありえず
持ち出しの赤字である
「趣味」の世界といえば
持ち出しがあっても普通なのかもしれない
大学においても多くの「教員コーチ」がおり
授業がない日や土日にも大学の研究室には人がいた
助手さんでスポーツ指導に関わっていた人もいた
人がいればそこにはコミュニケーションが生まれ
あでもない、こうでもない
ああしよう、こうしよう
あれいいよね
どうやってるの
おしえてよ
いろんな議論が自然と生まれていた
それが「形のない」「自然発生的な」「仕組み」だった
そんな時代は過去のものとなり
全ては「タイパ」「コスパ」で量的に評価され
一つの評価尺度で成果が計られる形式知重視の世の中になり
「自然な議論を生み出すために人工的な仕組みが必要になる時代」になった
それでも議論の機会では主張がぶつかり合い
「正しさ」と「正しさ」の喧嘩が始まり
合意形成のコストはますます高くなっていく現実がある
今日は日曜日
練習のために大学に出てきているが
人に出会わない
それが良いことなのか悪いことなのか
私にはわからない
私自身当然家族に迷惑をかけていたことは事実
自分の価値観を勝手に家族に押し付けていたんだろう
価値観が180度転換した現代において
自身の思考と行動を反省することは多い
プロではないからこそ
甘えは生まれ
言い訳が準備されている
ぬるま湯の世界なのだろう
それでも
競技や種目や研究の専門領域は違えど
「スポーツを指導する」という1点において共通点があり
「新しい動きを指導する」
「今ある動きを修正する」
「思考スキル」
「人間論」
「組織論」
「リーダーシップ論」
「哲学」
スポーツ指導を取り巻く
ありとあらゆることについて自然と議論が生まれ
いろんな学びがそこにはあった
形式知以上の実践知があった
形式知を「知っている」だけでは
「評論家」にはなれても
現場は務まらないことなんて
誰もが体験上わかっていた
だから「知っていること」の量よりも
「できること」の量が重視され
「できること」の価値
「できる人」の価値
が当たり前のように評価されていた
「あれはおかしい」「こうすべきだ」
喧々諤諤の議論になることもあったが
それを理由に人間関係が壊れることはなく
議論後はまたいつもの関係に戻る
自分が持つ正しさの主張ではなく
「いいものはいい」「わるいものはわるい」だった
だから年齢の上下や立場の上下はあれど
「わかった」「わかりました」
「そうしよう」「そうしましょう」
という合意形成が自然にできていた
学校教育における正課外教育という場の中で
一番成長させてもらったのは
学生ではなく教員コーチである自分なのかもしれない
そんな時代はもう来ないのだろう
新しい時代のなかで
現場とは何か
仕事とは何か
教員とは何か
プロフェッショナルとは何か
出すべき成果とは何か
考えている間に
お昼休憩の時間は終わり
午後の練習の時間になった
また現場に出ていく自分がいる
「趣味の世界」と割り切り
「好きなことをやれる幸せ」を感じ
学生とともに成長の機会を大切にしたいと思う

2025/01/20

●●が「●●以上のもの」であるか?

仕事が「仕事以上のもの」であるか?
作業が「作業以上のもの」であるか?
勉強が「勉強以上のもの」であるか?
練習が「練習以上のもの」であるか?
卒論が「卒論以上のもの」であるか?
 :
●●が「●●以上のもの」であるか?
 :
最近この問いについて考えることが多い
仕事が「給料を得るためのもの」
作業が「業務を遂行するためのもの」
勉強が「試験に合格するためのもの」
練習が「試合に勝つためのもの」
卒論が「必修単位を満たすためのもの」
 :
「だけ」であるとするならば
 :
「コスパ(コストパフォーマンス;費用対効果)」
「タイパ(タイムパフォーマンス;時間対効果)」
が最大の問題になる
 :
「だけ」でないとしても
「コスパ」「タイパ」は大切な問題である
 :
「しかし…」である
 :
「出すべき成果は何か?」という「目的」の設定があり
「そのための手段は何か?」の設定があり‥
仕事も、作業も、勉強も、練習も…
全てが「手段」化していく
 :
「目的→手段」
それは絶対に大切な思考方法であり
人生を「効率的」「合理的」「目的的」に生きていくためには必ず必要になるもの
 :
「しかし…」である
「成長」という視点からみると
全てのことは「機会」であり
「機会」は「チャンス」である
仕事も、作業も、勉強も、練習も、卒論も…
全ては成長の機会である
ある特定の「目的→手段」関係
ある特定の物差しで測る「効率性や合理性」
「だけ」の視点から見ていたら
本当に大切なものを見失う気がする
何よりも「チャンス」を逃してしまっている…
ただ単に逃してしまっているだけでなく
チャンスを逃してしまっていることに気づいていない…
ことこそが大きな損失である
 :
「主体的に」ってスローガンだけが一人歩きし
学習指導要領にも「対話的・主体的・深い学び」なんて書き込まれる時代
 :
「答えがない時代」「正解がない時代」だからこそ自分の頭で考える必要がある
「今まで通りが通用しない変化の時代」だからこそ自分で考える力が大切である
なんて正論が闊歩するものの
現実に起こっていることは
「私のすでに知ってい世界」
「私がすでに持っている視点」
からの意見や主張
「人は知っているものしか見ることができない」
認知特性を持っている以上
「今知っていること以上のものがある」
「今見えている以上のものがある」
という無知の知の自覚をもち
「今知っていること」の世界や視点から見た
「意味のないこと」の中に
「これまで知らなかったこと」「意味のあること」
を見つけ出そうとする姿勢や志向も
「主体的」の中に入るんじゃないか…
「強制されなくなった時代に機会を得て成長していく人」
になるためにこそ「主体的」が必要なんじゃないか…
 :
●●が「●●以上のもの」であるか?
 :
竹内まりやも「いのちの歌」のなかで
『本当に大事なものは隠れて見えない』
と綴っている




2024/12/03

「創り上げるコーチング」と「即興させるコーチング」


 1年は長いようで短いようで…

毎年研究室のドアに貼り付けてある年間カレンダーに日々✕印をつけ
「未来」を見据えながら「今」の「位置」と目標への「距離感」確認しながら過ごしている

学生の成長には時間がかかる
当然ながら今日やったことが明日の試合で使えるわけではない
できたという「発生」段階の「粗形態」から
場面に応じた「分化」や「定着」がみられる「精形態」を経て
技術の遂行そのものは前意識的に処理し意識は外部へ向く「自動化」がみられる「最高精形態」に到達するまで
個人戦術もチーム戦術も育成には極めて長い時間がかかる
プレイヤーの身体が覚えるというのは知的に理解するのとは異なる長い時間がかかる

既に要素となる個人技術や個人戦術やグループ戦術を「最高精形態」の水準で獲得しているトップアスリートが集まったチームに「チーム戦術の決定」と「短時間での合わせ」を経て「試合で実践」するような「即興させるコーチング」と
個人技術や個人戦術から育成強化していかなければならない段階の「創り上げるコーチング」では明らかに距離感が異なる
当然目標に至るプロセスも異なる

代表チームのレベルであっても
「創り上げる」タイプのコーチングもあれば
「即興させる」タイプのコーチングもある
どちらがフィットするかはプレイヤーの到達している水準の高さ
ということになるのだろう

全日本男子のコーチングに関して様々な意見が出されているが
ホーバスは「創り上げる」タイプのコーチングに強みがあるのだと思う
こういった現状のプレイヤーの質とコーチングのスタイルについて
きちんと議論をした方がいいんじゃないかなぁ

チームは明日から2024シーズンの最後の舞台が開演
勝負だ

2021/07/16

目に見える問題に対応することと目に見えない問題に対応すること

問題解決型思考では

目標を明確に設定し
現状を正確に評価したら
問題は眼前に立ち現れてくる

と表現する

なので問題は「目標値と現在値との差」と定義することができる

ということは
問題には
①「あるべき状態を達成しようと取り組んだが悪い結果になってしまった問題」
②「あるべき状態を達成することに取り組んでいない問題」
の2種類があるということになる

①は「やったんだけど失敗したこと」が問題
②は「やらなかったこと」「やれなかったこと」が問題…

①と②はいずれも、あるべき状態と今の状態に差があるという点は同じ

でも
①はいわゆる具体的な失敗だから目につくので認識しやすい

しかし
②は具体的な失敗として目の前に現れてこないから「脳内であるべき姿を映像として流しながら目の前の現象を観察する」というか「目標の像と実際の像の2画面を重ねて違いを見抜く観察」ができない限り絶対に認識できない

そのため
問題解決は一般的に①への対応に偏ってしまうことが多い

目の前に具体的な①の問題が現れることは、スポーツ指導の場に限らず、仕事や日常生活の場の中でも頻繁に発生する

だから
①の問題に対応するときは、「今目の前に現れていない②の問題があるかもしれない」「今目の前に現れていない②の問題を解決したら、今目の前に現れている①の問題はそもそも起こらないかもしれない」などの可能性を検討した上で、「今目の前に現れてる①の問題に対応すること」の意義や重要性や必要性が認められる場合に①の問題に対応し始めるといった思考の習慣をつけたい

そうしないと
次から次へに現れる問題の渦に巻き込まれ、「問題だ問題だ……」ってなってしまう

問題解決力が高いという自己効力感があるほど、無意識に悪循環にはまり込んでしまう危うさがあることを理解しておく必要があるなと思う



2021/06/25

無意識の力って凄い

スポーツに限らず、無意識の持つ力について学ぶことはとても大切なことだなと感じる

まず自分の中に二人の自分がいると仮定する
①考える自分(意識)
②動く身体(無意識)

いろんな事を考え、悩み、迷うのは①の自分
実際にスポーツの中で動いているのは②の身体

時に①は②の動きの邪魔をする
①が自分にコントロールできない未来や過去や他者の事を考えている時
②は必要な情報が入ってこないために持っている力を発揮することができない

あるいは
①が②の動きをコントロールしようとする時
②の動きは自動化が切られ、ぎこちない動きとなってしまう
①は「歩く」や「字を書く」といった簡単な行動ですら完全にコントロールすることはできない
甲子園球場の入場行進で手と足がそろって不自然になるのは①が②をコントロールしようとした結果起こること
本来は全て②が自動的に行なっていることに①が口を出すとこうなる

①の意識が必要な五感「視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚」の扉を開くことだけを考え
必要な情報が入ってくるようにだけしておけば
②の身体はその情報をうけとって自動的に動いてくれる

スポーツにおける「無心」「ゾーン」「フロー」というのは
①が不要な思考を停止し必要な五感の扉を開くことだけを意識している状態で
②の身体が①の邪魔を受けずに自由自在に動けている状態のことなんだと思う

また、①が話す言葉を②は聞いている
さらに、①の考える事を②は黙って了解している
そして、②は①の言葉や考えを「現実化」しようとする

だからナポレオン・ヒルが言うように「思考は現実化する」ことになる

だったら、ネガティブな言葉を唱えたり、考えたりするよりも
ポジティブな言葉を唱えたり、考えたりすることの方が大事

そうすれば、自分が何を言うか、何を考えるかという
意識できることをコントロールすることで
コントロールができない無意識にアプローチしていることになる

言葉を変えれば
意識的に無意識をコントロールする方法ということになる

それが正聞熏習(しょうもんくんじゅう)






2021/06/20

「狙って出した正の成果」と「予想せずに出ている負の効果」に気づくこと

トレーニングは目的をもって行うもの

だから「出したい成果」が先にあって「そのための手段」を準備するという順に考える
当然、トレーニング手段を実施した後は「出したい成果」が出ているかを必ず確認するもの

でも、そのトレーニング手段を実施したことによって「予想していなかった負の効果」で出ていることに気づくことは案外少ない

たまに「予想していなかった正の効果」が現れて
結果オーライなんてこともあったりする

コーチとしてこの「狙って出した正の成果」と「想定外に出た負の効果」と「想定外の正の効果」の3つを正確に評価する力というか思考というか習慣が必要だと思う

トレーニングは、刺激を与えて適応を意図的に引き出す行為だが
トレーニングによって与えられる刺激は、狙った刺激だけに限定されるものではなく
狙った刺激以外にも多様な刺激を持っているはず
そうすると適応は狙った刺激以外の刺激によっても当然引き出されているはず

コーチには「出したい成果」「引き出したい適応」っていう認知バイアスがかかるから
どうしても「想定していない成果」「想定していない適応」についての認知は甘くなる

「想定外の正の効果」はコーチにとっては大歓迎だし
勝ちに不思議の勝ちあり」なんていうのは「想定外の正の効果」もその一因なのかもしれない

逆に「負けに不思議の負けなし」の一因になるような「想定外の負の効果」は常に意識して見極める習慣をつけておかないと「終わってから気づかされる」ことになる…

自分自身「通り過ぎてから気づいた」ことは山のようにあり
プレイヤーに対して言葉では言い表せない自責の念を何度も感じてきた

アシスタントコーチを得た2020シーズンからは
この「自分には見えにくい想定していなかった適応」をアシスタントコーチの目を通して意識的に確認するようにしている

そうすることで自分自身の認知バイアスを修正し
自分で3つの成果を見極められるように訓練していきたいと思う

「問題」の捉え方が2つあるから確認しなきゃいかんな

  人生訓② 仕事をしていると様々な「問題」が発生する コーチングにおける問題とは「目標と現状の差」という定義なので 問題とは「目標を明確に設定」し「現状を正確に評価」した時に「眼前に立ち現れるもの」と表現される したがって 問題とは目に見えるものではなく逆に目には見えない認識す...