これって本当なんだろうか?
バスケットボールなんだから「状況判断」が大事
それはわかる
でも
何かが足りない
というか
何か誤解してるんじゃないか?
ずっとモヤモヤしていた
高速でゲーム状況が変化する近代バスケットボールで、単に「見て(watching)」「判断して(situation judgement)」「プレイ(decision make)」しようとしても、ゲーム状況の変化や複雑さについていけず「先手」なんてとれない
ついていけたとしても
「反射的」に「判断」して「選択」したプレイが
そもそも自分が「意図したもの」や「練習してきたもの」や「強みを生かしたもの」になるかどうかはわからない
それができるのは相当な力の差がある場合だけなんじゃないか
逆に
「場面を正確に認知し、その場に応じた最適なプレイを選択していく」という思考方法をとろうとすればするほど、結果的に選ぶプレイは「場面にはふさわしい」けれども「自分の強みの発揮」とは必ずしも一致しなくなるというジレンマに陥ってしまう
「見て・判断して・プレイする」ってフレーズを無批判に「良い戦術的思考方法である」と受け入れ、その思考方法が習慣化すればするほど、「選択するプレイは状況に適しているかもしれないが、判断と選択という枝分かれを繰り返していく中で、どこか弱い・集中度の低い・練習量の少ないプレイ」になっていく
そうではなく
「まず最初に自分の最も強い・得意なプレイを仕掛ける」って決めた上で
「そのプレイができるのかできないのか」を「見て・判断して・プレイ」したり「そのプレイができる状況になるようになるように逆算で仕掛けていく」といった思考方法でプレイした方が、結果的には自分の「おはこ」に持ち込むことができるようになる
強みを徹底的に仕掛けて
それが100%できないほど完全に抑えられたとしたら
それは軽く裏のプレイを仕掛けることができるということでもあるはず
そうすればプレイはいたってシンプルになる
「何をするかわかってるけれども止められない」プレイヤー
「気がついたら得意なプレイでやられる」プレイヤー
っていうのは
「判断と選択という分岐を繰り返し」「枝分かれした先の正しい選択肢」を「探して」プレイしてるんじゃなく
「自分が最終的にやりたいプレイ」に「なるようになるよう」に「状況を逆算で創り出して」プレイしているんだと思う
「場面に最適なプレイを選択していく」という思考から
「得意なプレイができるように場面を創っていく」という思考へ
④ 読み(予測) anticipationにもあるが
徹底的に先手が取れるように強みであるプレイを仕掛けていくタフさは
思考習慣から見直す必要があるのかもしれない
バスケットボールは習慣のスポーツ
ゲームでは「いつも通り」のことしかできない
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