2025/03/05

階段登ったら後ろが崩れてた……コーチングのあるある

右肩上がりって言葉がある
「成長」のメタファーでもある

コーチングも右肩上がりに成長していってほしいと思う
しかし基本的に階段方式でプログラムを組んでも
やっと登ったと思った瞬間に
登った先から崩れてるのが現実

ルパン三世や未来少年コナンに崩れる橋を渡ってるシーンがあったが
まさにあれっ^^;
ほぼコーチの自己満足の世界

知的な理解と体が了解することの違いか…
蓄積は思ってる以上に難しい

そうなるとやはり右肩上がりよりも螺旋で考えた方がいいんだろう
それでも同じ水準でぐるぐる回ってても成長はないので
元に戻った時には質的に改善しているスパイラルアップのイメージが一番いい

垂直方向の質的成長と右方向の量的成長の両面からスパイラルアップをイメージすると
図のようになる

最終的な目標像を「方向性」と「水準」の2面から設定し
現状との差を問題点として正確に評価し
パフォーマンス構造を元に原因と課題を設定し
「プログラム」に落とし込んでいく

どの部分が欠けても良いコーチングににはならないが
進むべき方向が頓珍漢でも成長は引き出せないし
目指す水準が高すぎても低すぎてもうまくいかない

目の前の現象を正確に観察して
目標との差を正確に評価する現状評価は極めて難しい
起こっている問題点と
起こっていない問題点の
2つの視点を以前の記事で書いたが
コーチングの現場ではコーチ自身が分析装置だから
コーチの目こそが命
コーチの目がポンコツだと印象分析もポンコツになる

「どこが悪いか」という問題点が分かっても
「なんでそうなってるのか」
という原因や背景は指導する競技のパフォーマンス構造が高度に理解できていないと
原因と結果を正確に関連づけることができない
どうしても原因や背景がわからない時に
コーチは「心」の問題にしてしまうこともある^^;

プログラムづくりにも独特の難しさがある
「借りてきたプログラム」も実際にやってみると
様々な問題が発生するもの
プログラムの目的や実施方法、指導内容に対する理解不足によって起こる問題
指導対象の現状と合っていないことによって起こる問題
結局は試行錯誤して指導対象にフィットさせていくしかない

スパイラルアップを何度も何度も忍耐強く回していくしかないのがコーチング

だからコーチングの思考サイクルに正解はあっても
実際の指導現場には正解がないのがコーチング

正課外教育のクラブ活動で育つのは生徒?学生?それとも教員?

教員コーチのつぶやき

散文の長文です^^;
中学校、高等学校、大学
かつてどのカテゴリーにも「教員コーチ」は多く
特別な報酬もないまま
ただ「好き」という理由だけで
祝日とか勤務時間外とかでも指導現場にいた
それは「自己犠牲」でもなんでもなく
ただの「好き」の延長線上
報酬なんてないわけだから
当然黒字なんてことはありえず
持ち出しの赤字である
「趣味」の世界といえば
持ち出しがあっても普通なのかもしれない
大学においても多くの「教員コーチ」がおり
授業がない日や土日にも大学の研究室には人がいた
助手さんでスポーツ指導に関わっていた人もいた
人がいればそこにはコミュニケーションが生まれ
あでもない、こうでもない
ああしよう、こうしよう
あれいいよね
どうやってるの
おしえてよ
いろんな議論が自然と生まれていた
それが「形のない」「自然発生的な」「仕組み」だった
そんな時代は過去のものとなり
全ては「タイパ」「コスパ」で量的に評価され
一つの評価尺度で成果が計られる形式知重視の世の中になり
「自然な議論を生み出すために人工的な仕組みが必要になる時代」になった
それでも議論の機会では主張がぶつかり合い
「正しさ」と「正しさ」の喧嘩が始まり
合意形成のコストはますます高くなっていく現実がある
今日は日曜日
練習のために大学に出てきているが
人に出会わない
それが良いことなのか悪いことなのか
私にはわからない
私自身当然家族に迷惑をかけていたことは事実
自分の価値観を勝手に家族に押し付けていたんだろう
価値観が180度転換した現代において
自身の思考と行動を反省することは多い
プロではないからこそ
甘えは生まれ
言い訳が準備されている
ぬるま湯の世界なのだろう
それでも
競技や種目や研究の専門領域は違えど
「スポーツを指導する」という1点において共通点があり
「新しい動きを指導する」
「今ある動きを修正する」
「思考スキル」
「人間論」
「組織論」
「リーダーシップ論」
「哲学」
スポーツ指導を取り巻く
ありとあらゆることについて自然と議論が生まれ
いろんな学びがそこにはあった
形式知以上の実践知があった
形式知を「知っている」だけでは
「評論家」にはなれても
現場は務まらないことなんて
誰もが体験上わかっていた
だから「知っていること」の量よりも
「できること」の量が重視され
「できること」の価値
「できる人」の価値
が当たり前のように評価されていた
「あれはおかしい」「こうすべきだ」
喧々諤諤の議論になることもあったが
それを理由に人間関係が壊れることはなく
議論後はまたいつもの関係に戻る
自分が持つ正しさの主張ではなく
「いいものはいい」「わるいものはわるい」だった
だから年齢の上下や立場の上下はあれど
「わかった」「わかりました」
「そうしよう」「そうしましょう」
という合意形成が自然にできていた
学校教育における正課外教育という場の中で
一番成長させてもらったのは
学生ではなく教員コーチである自分なのかもしれない
そんな時代はもう来ないのだろう
新しい時代のなかで
現場とは何か
仕事とは何か
教員とは何か
プロフェッショナルとは何か
出すべき成果とは何か
考えている間に
お昼休憩の時間は終わり
午後の練習の時間になった
また現場に出ていく自分がいる
「趣味の世界」と割り切り
「好きなことをやれる幸せ」を感じ
学生とともに成長の機会を大切にしたいと思う

2025/01/20

●●が「●●以上のもの」であるか?

仕事が「仕事以上のもの」であるか?
作業が「作業以上のもの」であるか?
勉強が「勉強以上のもの」であるか?
練習が「練習以上のもの」であるか?
卒論が「卒論以上のもの」であるか?
 :
●●が「●●以上のもの」であるか?
 :
最近この問いについて考えることが多い
仕事が「給料を得るためのもの」
作業が「業務を遂行するためのもの」
勉強が「試験に合格するためのもの」
練習が「試合に勝つためのもの」
卒論が「必修単位を満たすためのもの」
 :
「だけ」であるとするならば
 :
「コスパ(コストパフォーマンス;費用対効果)」
「タイパ(タイムパフォーマンス;時間対効果)」
が最大の問題になる
 :
「だけ」でないとしても
「コスパ」「タイパ」は大切な問題である
 :
「しかし…」である
 :
「出すべき成果は何か?」という「目的」の設定があり
「そのための手段は何か?」の設定があり‥
仕事も、作業も、勉強も、練習も…
全てが「手段」化していく
 :
「目的→手段」
それは絶対に大切な思考方法であり
人生を「効率的」「合理的」「目的的」に生きていくためには必ず必要になるもの
 :
「しかし…」である
「成長」という視点からみると
全てのことは「機会」であり
「機会」は「チャンス」である
仕事も、作業も、勉強も、練習も、卒論も…
全ては成長の機会である
ある特定の「目的→手段」関係
ある特定の物差しで測る「効率性や合理性」
「だけ」の視点から見ていたら
本当に大切なものを見失う気がする
何よりも「チャンス」を逃してしまっている…
ただ単に逃してしまっているだけでなく
チャンスを逃してしまっていることに気づいていない…
ことこそが大きな損失である
 :
「主体的に」ってスローガンだけが一人歩きし
学習指導要領にも「対話的・主体的・深い学び」なんて書き込まれる時代
 :
「答えがない時代」「正解がない時代」だからこそ自分の頭で考える必要がある
「今まで通りが通用しない変化の時代」だからこそ自分で考える力が大切である
なんて正論が闊歩するものの
現実に起こっていることは
「私のすでに知ってい世界」
「私がすでに持っている視点」
からの意見や主張
「人は知っているものしか見ることができない」
認知特性を持っている以上
「今知っていること以上のものがある」
「今見えている以上のものがある」
という無知の知の自覚をもち
「今知っていること」の世界や視点から見た
「意味のないこと」の中に
「これまで知らなかったこと」「意味のあること」
を見つけ出そうとする姿勢や志向も
「主体的」の中に入るんじゃないか…
「強制されなくなった時代に機会を得て成長していく人」
になるためにこそ「主体的」が必要なんじゃないか…
 :
●●が「●●以上のもの」であるか?
 :
竹内まりやも「いのちの歌」のなかで
『本当に大事なものは隠れて見えない』
と綴っている




2024/12/03

「創り上げるコーチング」と「即興させるコーチング」


 1年は長いようで短いようで…

毎年研究室のドアに貼り付けてある年間カレンダーに日々✕印をつけ
「未来」を見据えながら「今」の「位置」と目標への「距離感」確認しながら過ごしている

学生の成長には時間がかかる
当然ながら今日やったことが明日の試合で使えるわけではない
できたという「発生」段階の「粗形態」から
場面に応じた「分化」や「定着」がみられる「精形態」を経て
技術の遂行そのものは前意識的に処理し意識は外部へ向く「自動化」がみられる「最高精形態」に到達するまで
個人戦術もチーム戦術も育成には極めて長い時間がかかる
プレイヤーの身体が覚えるというのは知的に理解するのとは異なる長い時間がかかる

既に要素となる個人技術や個人戦術やグループ戦術を「最高精形態」の水準で獲得しているトップアスリートが集まったチームに「チーム戦術の決定」と「短時間での合わせ」を経て「試合で実践」するような「即興させるコーチング」と
個人技術や個人戦術から育成強化していかなければならない段階の「創り上げるコーチング」では明らかに距離感が異なる
当然目標に至るプロセスも異なる

代表チームのレベルであっても
「創り上げる」タイプのコーチングもあれば
「即興させる」タイプのコーチングもある
どちらがフィットするかはプレイヤーの到達している水準の高さ
ということになるのだろう

全日本男子のコーチングに関して様々な意見が出されているが
ホーバスは「創り上げる」タイプのコーチングに強みがあるのだと思う
こういった現状のプレイヤーの質とコーチングのスタイルについて
きちんと議論をした方がいいんじゃないかなぁ

チームは明日から2024シーズンの最後の舞台が開演
勝負だ

2021/07/16

目に見える問題に対応することと目に見えない問題に対応すること

問題解決型思考では

目標を明確に設定し
現状を正確に評価したら
問題は眼前に立ち現れてくる

と表現する

なので問題は「目標値と現在値との差」と定義することができる

ということは
問題には
①「あるべき状態を達成しようと取り組んだが悪い結果になってしまった問題」
②「あるべき状態を達成することに取り組んでいない問題」
の2種類があるということになる

①は「やったんだけど失敗したこと」が問題
②は「やらなかったこと」「やれなかったこと」が問題…

①と②はいずれも、あるべき状態と今の状態に差があるという点は同じ

でも
①はいわゆる具体的な失敗だから目につくので認識しやすい

しかし
②は具体的な失敗として目の前に現れてこないから「脳内であるべき姿を映像として流しながら目の前の現象を観察する」というか「目標の像と実際の像の2画面を重ねて違いを見抜く観察」ができない限り絶対に認識できない

そのため
問題解決は一般的に①への対応に偏ってしまうことが多い

目の前に具体的な①の問題が現れることは、スポーツ指導の場に限らず、仕事や日常生活の場の中でも頻繁に発生する

だから
①の問題に対応するときは、「今目の前に現れていない②の問題があるかもしれない」「今目の前に現れていない②の問題を解決したら、今目の前に現れている①の問題はそもそも起こらないかもしれない」などの可能性を検討した上で、「今目の前に現れてる①の問題に対応すること」の意義や重要性や必要性が認められる場合に①の問題に対応し始めるといった思考の習慣をつけたい

そうしないと
次から次へに現れる問題の渦に巻き込まれ、「問題だ問題だ……」ってなってしまう

問題解決力が高いという自己効力感があるほど、無意識に悪循環にはまり込んでしまう危うさがあることを理解しておく必要があるなと思う



2021/06/25

無意識の力って凄い

スポーツに限らず、無意識の持つ力について学ぶことはとても大切なことだなと感じる

まず自分の中に二人の自分がいると仮定する
①考える自分(意識)
②動く身体(無意識)

いろんな事を考え、悩み、迷うのは①の自分
実際にスポーツの中で動いているのは②の身体

時に①は②の動きの邪魔をする
①が自分にコントロールできない未来や過去や他者の事を考えている時
②は必要な情報が入ってこないために持っている力を発揮することができない

あるいは
①が②の動きをコントロールしようとする時
②の動きは自動化が切られ、ぎこちない動きとなってしまう
①は「歩く」や「字を書く」といった簡単な行動ですら完全にコントロールすることはできない
甲子園球場の入場行進で手と足がそろって不自然になるのは①が②をコントロールしようとした結果起こること
本来は全て②が自動的に行なっていることに①が口を出すとこうなる

①の意識が必要な五感「視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚」の扉を開くことだけを考え
必要な情報が入ってくるようにだけしておけば
②の身体はその情報をうけとって自動的に動いてくれる

スポーツにおける「無心」「ゾーン」「フロー」というのは
①が不要な思考を停止し必要な五感の扉を開くことだけを意識している状態で
②の身体が①の邪魔を受けずに自由自在に動けている状態のことなんだと思う

また、①が話す言葉を②は聞いている
さらに、①の考える事を②は黙って了解している
そして、②は①の言葉や考えを「現実化」しようとする

だからナポレオン・ヒルが言うように「思考は現実化する」ことになる

だったら、ネガティブな言葉を唱えたり、考えたりするよりも
ポジティブな言葉を唱えたり、考えたりすることの方が大事

そうすれば、自分が何を言うか、何を考えるかという
意識できることをコントロールすることで
コントロールができない無意識にアプローチしていることになる

言葉を変えれば
意識的に無意識をコントロールする方法ということになる

それが正聞熏習(しょうもんくんじゅう)






2021/06/20

「狙って出した正の成果」と「予想せずに出ている負の効果」に気づくこと

トレーニングは目的をもって行うもの

だから「出したい成果」が先にあって「そのための手段」を準備するという順に考える
当然、トレーニング手段を実施した後は「出したい成果」が出ているかを必ず確認するもの

でも、そのトレーニング手段を実施したことによって「予想していなかった負の効果」で出ていることに気づくことは案外少ない

たまに「予想していなかった正の効果」が現れて
結果オーライなんてこともあったりする

コーチとしてこの「狙って出した正の成果」と「想定外に出た負の効果」と「想定外の正の効果」の3つを正確に評価する力というか思考というか習慣が必要だと思う

トレーニングは、刺激を与えて適応を意図的に引き出す行為だが
トレーニングによって与えられる刺激は、狙った刺激だけに限定されるものではなく
狙った刺激以外にも多様な刺激を持っているはず
そうすると適応は狙った刺激以外の刺激によっても当然引き出されているはず

コーチには「出したい成果」「引き出したい適応」っていう認知バイアスがかかるから
どうしても「想定していない成果」「想定していない適応」についての認知は甘くなる

「想定外の正の効果」はコーチにとっては大歓迎だし
勝ちに不思議の勝ちあり」なんていうのは「想定外の正の効果」もその一因なのかもしれない

逆に「負けに不思議の負けなし」の一因になるような「想定外の負の効果」は常に意識して見極める習慣をつけておかないと「終わってから気づかされる」ことになる…

自分自身「通り過ぎてから気づいた」ことは山のようにあり
プレイヤーに対して言葉では言い表せない自責の念を何度も感じてきた

アシスタントコーチを得た2020シーズンからは
この「自分には見えにくい想定していなかった適応」をアシスタントコーチの目を通して意識的に確認するようにしている

そうすることで自分自身の認知バイアスを修正し
自分で3つの成果を見極められるように訓練していきたいと思う

2021/06/10

速さは技術だ!

球技スポーツにおいて「プレイ速度が速いこと」はそれだけで優位性がある
だからコーチもプレイヤーも「速く!」を強調して指導あるいはプレイすることが多い

25年以上前だが、大学女子バスケットボール界で当時最も速いバスケットボールを実現していたあるベテランコーチから「速さは技術だ!」と教わった

そのコーチは
「……チームはただ速いだけだ」
「……チームは速いだけで勝ってる」
「そりゃあれだけ走らせてたらそうなるよなぁ……」
「なんてよく言われるけど」

「だったら同じ速さでプレイしてみろ(させてみろ)」
「速くプレイしようとしたら一体何が起こるか……そう言うことを言う奴は本気でトライしたことないんだろ」
って感じでサバサバしてる

「速さは体力」ではなかった

自分もコーチとして「速いプレイ」を今でも追求をしているが
どうしても「速く」は「急ぐ」とか「慌てる」になるし
「正確な判断」や「よい選択」ができなくなり「未確認」で「止められないプレイ」になったり「シュートの精度が落ちる」といったことが多発する

また、そもそも論として「速く動くこと」は「スピードが速いこと」よりも
「加速度が高いこと」って感覚なのでプラスの加速度とマイナスの加速度があるわけだから
当然「急激に加速すること」と「急激に止まること」の両方が求められる

自動車でも「最高速度を上げる」ためには「ブレーキの性能を上げること」が必須だし
「ボディーの剛性を高める」ことも急激な加速/減速に耐えるためには必要不可欠な要素

速度を上げればそれだけ自動車のドライバーには「判断の速さ」と「判断の早さ」が要求されるし
高速運転中のハンドル操作には極めて高い熟練度が求められる
急激なハンドル操作は車の不安定さを生み出し大事故を引き起こす

高速で走る中では「時間的な制限」から「すべての情報源」に視線を向けることはできないので
「必要な情報源に視線を向け」「起こった時の対処法」とセットで「起こりうる可能性を常に先取りしながら」頭は高速回転している

また高速で走る中では「物理的な制限」によって「視野は狭くなる」から余計に「選択的注意」の精度の高さが求められる

毎年毎年「速さ」を追求していくなかで
「あの速さに到達できたかな」って思える日が1日でも早くくるように
加速力と減速力/体幹/スキルの精度/選択肢の精選と優先順位づけ/選択的注意/判断基準/早さ/…
そういったものを日々磨いていきたい

そして「速さは技術だ!」って自信を持って言えるコーチに自分もなりたいと思う

2021/06/01

自分の動きを主観的に観察することと客観的に観察すること

コロナ禍で大学の授業はオンラインが多い
昨年度前期は全ての授業がオンラインだった
実技のバスケットボール授業もオンライン…

今年度はバスケットボール実技を4月から対面でやれてたが
4月25日緊急事態宣言の発出により一旦オンラインに移行こせざるを得なくなった

じゃあどうするか…となるんだが
そこは昨年度構築した「オンラインスキルテスト」実施に切り替える

毎週
①指導資料(PDFファイル)と解説映像(Youtube動画)の提示
→②提出課題の説明映像提示(Youtube動画)
(撮影方法、評価の観点と基準、提出方法)
→③各自が自分で練習
(時間と場所は様々、課題は基本的にボールを使わない動きだけのシャドウ)
→④自分の動きをスマホで動画撮影して自分で評価の観点と基準を確認
→⑤できてると判断したら提出
という流れ

ゴールデンウイーク明けから4週間のオンライン期間を経て
6月に入り感染症対策を行なった上で対面授業を再開した

まずは
オンラインスキルテスト課題を実際のコートでボールを使って実施してみた

その結果は……
「対面授業だけの時よりも動きがいい!」

結局、学生自身が動きのメカニズムとその運動経過の中にあるポイントを指導資料と解説映像から見抜き
自分の動きを映像によって客観的に自己観察したことが
動きの学習にとて効果的な機会になったということ

対面授業だと動きの良否を私が評価することが多く
私は教えたつもりになり、授業してる!って満足感はあるが
案外学生は受動的な学びになってるんだろうなと思う

オンラインスキルテストだと
学生が自分の動きに意識を向ける主観的な自己観察と
学生が自分の動きを外からみる客観的な自己観察とを
行ったり来たりすることになり
主観的な自己観察と客観的な自己観察を行ったり来たりしながら
結果的に学生は能動的な学びになるんだろうと思う

実技はオンラインよりも対面の方がいいに決まってる
でもオンラインにはオンラインの良さがあり
両方を足したら対面授業はもっと良くなる

全ての出来事は成長の機会になる!
学生にとっても教員にとっても

改めてそう思う




 

2019/11/04

その先へ進むために



忘備録

大学へ向かっていつものように自転車を漕いでいたら
ふと閃いた
雲が消えていくような感じ

2013年にストレングスファインダーをやってみてわかった自分の5つの強みの中の4つは
・内省
・分析思考
・学習欲
・達成欲
だが
この4つの強みが前意識的に「その先」を探し出そうとしていたんだ

その前意識は
右肩上がりの「階段思考」を前提に成長を考える思考の癖を創り出し
結果的に「その先」が「水平方向右上」にあるイメージで固定化されていた

しかし
「水平方向右上」へ進もうとする「階段思考」は
段階的に進んでいく思考のようにみえて
実は通り過ぎた過去を捨て去る思考でもある
結果的に積み重なりが不足し
右上に進んでいるようで実は水平方向右へ単に移動しただけになる

それは
「隣の芝が青くみえる」のと同じこと

だからこそ
5つめの強み「原点思考」を最大限に活かし

「その先」とは「水平方向右上」への移動ではなく
出発点から「上方向」への移動であると再定義し
成長を「階段思考」から「スパイラル思考」で捉える訓練が重要になる

コーチは経験を積み
沢山の失敗と幾つかの成功を重ねていく中で
「次へ」「その先へ」と進もうとする
それは誰もが持つ当たり前の成長欲求

しかし
毎年毎年入れ替わる目の前のプレーヤーにはその積み重ねがない
あくまでも一からのスタートであり
毎年毎年同じことを何度も何度も根気強く丁寧に繰り返していくしかない

そんな繰り返しを
学習欲や達成欲という強みが阻害していた
成功体験が失敗体験の基となっていた

より明確に
より鮮明に
目標の「方向性」と「水準」を設定し

より効率的に
より具体的に
進めるように「プログラム」を改善していかなければならないが

「飛び越し」たり
「一段抜かし」したりすれば
必ずそのつけは回ってくる

「できている」
「すでにやった」
と思い込んでいることも
繰り返しがなければ必ず消えて無くなっていく

さらに
螺旋で単純に「上方向」へ上がるだけでなく
「上方向」へと登りながら螺旋の「直径が広がっていく」イメージを持ちたい

それは
「プログラム」の効率化と精緻化による広がりであり
・単位時間当たりにこなせる量
・細部へのこだわりの質
両面での広がり

それが「その先」の正体なんだろう

こんなことは当たり前のことなんだろうけれども
雲間から現れた陽の光をみながら
今まで言葉にならなかったことが
明確に言葉になった

今日からまた新たな「その先」へ進もう

バスケットボールを安全にプレイできる環境を求めて

  バスケットボールに関わる全ての皆様にどうしても考えていただきたいことがありこの投稿をしています 女子の大学カテゴリーですが1990年代からずっと現場で指導する教員コーチとしてどうしても考えていただきたいことです それは「強度(intensity)」についてです 歴史的にバスケ...