大学に入り、本当に毎日頑張っているプレーヤーだ
切れた靭帯は帰ってこないから
切れた本人は、手術→リハビリ→復帰という8ヶ月の中で
何かを学ぶしかない
しかし、失ったものに意識がいけばいくほど学ばなければならないものを学べなくなるのが現実
「不増不減」と般若心経にあるように、
何が減るのか?
何が増えるのか?
自問自答するしかない
苦しく長い時間の中で何かを学んでいって欲しいと願う
今できること、これからできることはそれしかないから
そこで学んだことは、先の人生の中で必ず自分を支える力になるから
怪我は必然と
2010年12月16日木曜日
の記事に書いた
問題は、怪我を生み出した側の人間・組織が何を学ぶかだ
怪我を生み出した側の人間・組織は本人の何倍も真剣に怪我から何かを学ばなければならない
怪我をした人間の8ヶ月の苦労を想い、それと同じ時間何かを学び続けなければならない
「怪我する人間が悪い」
「代わりはいくらでもいる」
そんな風には考えていない
しかし
「なぜこの怪我が起こったのか?」
を考え抜かない限り同じことが繰り返される
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