2011/08/29

先生がコーチを手放すことは可能か

日本のスポーツ界では、先生が頑張ってコーチしてきた。
そのプラスの財産とマイナスの財産。
それをしっかりと見極める時期にきていると思う。

私は坂本龍馬をすごいなあと尊敬している。
それは「龍馬がゆく」を書いた司馬遼太郎の文章の魅力による部分が大きい。
しかし、私は個人的に龍馬の本当の価値は、自身が武士なのに、武士という階級そのものをなくす革命を起こしたことにあると思っている。

日本のスポーツがこれからも底辺を広げていくために、
先生のコーチ力は絶対に必要になる。
学校教育の中でのスポーツ指導は日本の独自性である。

しかし、世界と戦うトップの競技力を高めていくためには、
先生がコーチにスポーツ指導のバトンを引き継ぐ必要があるのではないだろうか。
日本にコーチという職業が成立する時代を作るには、
先生自身がコーチを手放さなければならない。
そんなことをこの10年来ずっと考え続けている。
スポーツ指導論の授業の中で、
「教員免許はスポーツを指導する資格ではないよ」
「教員免許は、あくまで教科としての保健体育を教えるための資格です」
「スポーツを指導したかったら、スポーツの指導資格をちゃんと取得しなさい」
と教えている。

にもかかわらず、自分自身は大学教員として今もコーチを続けている矛盾。
「24時間がバスケットボール」にならない現実と折り合いながら。
いっそ、教員を辞めてコーチに専念できる環境に身を置いた方がいいのか、
それとも、コーチを辞めてプロコーチに委ねた方がいいのか、
と考えることもあったが、その度にどちらも選ぶ勇気がなく、現状を維持している。
だから、逃げ道がある。
だから、コーチ力も育たず中途半端。

歴史を否定するのではなく。
歴史を検証して新しいものを足していくこと。
「勝つこと」を求めるなら、「勝つこと」を仕事にする人を日本中にもっともっと一杯作るしかない。そうしなければ、これから先「世界で戦えるコーチ」は出現しないのではないか。

長崎での予選を見ていて、強くそう思う。

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